「日本人はユダヤ人と同祖なのか」

 もしかしたら、ある方から「そんなの関係ないでしょう!」と言われてしまうかもしれないが、今回は、イスラエルの「失われた北の十部族」について学んでみたい。

 歴史を振り返るならば、ソロモン王の死後、一国であったイスラエルが北と南に分裂してしまった。北王国がイスラエルの十部族(下剋上でダビデの血統ではないヤラベアムが王となる)、南ユダ王国が二部族に分かれ王はソロモンの息子レハベアムがなった。(イスラエルの12部族は、ヤコブの息子たちに起因する。ルベン、シメオン、ユダ、イッサカル、ゼブルン、ガド、アセル、ダン、ナフタリ、マナセとエフライム<ヨセフの息子たち>、ベニヤミン<レビは神が嗣業>)。

 北王国は、アッスリア帝国に滅ぼされ、BC722年に捕囚となる。アッスリアはイスラエルの復讐を抑えるために周辺諸国から様々な民族を住まわせイスラエルの民と雑婚された。イスラエル人の民族意識を弱らせ反逆させないようにしたのである。その結果、サマリヤ人が生まれた。南王国は、BC586年バビロン帝国に滅ぼされ政治家や宗教的指導者などのエリートが捕囚の民となった。その70年後のBC516年、覇権国家の入れ替わりによりペルシャ帝国のキュロス(クロス)王の時代の勅令により、イスラエル帰還が許されることになった(再建、BC516年)。

 そして、帰ってきたユダ族とベニヤミン族の人々がユダヤ人と呼ばれるようになったという。そのことをもって、北の民族は世界に離散して行方不明となってしまったのだ、という人たちがいるのである。そして、その失われた十部族の一部が日本人のご先祖様になったと主張するのである。このことを「日ユ同祖論」といわれている。そういえば、いつか民放のラジオ番組で武田鉄矢がその話を紹介していたことがあった。

 そこで少し調べてみた。これを言い出したのは、明治初期に来日したユダヤ系スコットランド出身のニコラス・マクラウド(ローマン・マクロード)という貿易実業家であった。明治8年に「日本古代史の縮図」という本を書いたそうである。ユダヤ人と日本人を比較して失われた十部族の末裔だ、というのである。これに同調した日本人が三人いた。佐伯好郎、酒井勝軍、小谷部全一郎のお三方である。彼らが今日の日ユ同祖論の原型を作り上げたようである。他のものは派生してきたものと考えられる。彼らは、クリスチャンであった。日本人が偉大な先祖を持っていることを説明したかったのであろうか。もし、日本人がユダヤ人であるならば、聖書の神をもっと信じるはずではないかと思ったのであろうか。

 しかし、今日はっきりしていることは、この考えは学術的根拠がないものなのである。さて、聖書的な証拠をあげておきたい。列王記と歴代誌は、南ユダ王国の背信のゆえに神の裁きであるバビロン捕囚となった記事で終わっている。エズラ記は、そのバビロンへ引かれて行った捕囚の民がエルサレムへ帰還するところから始まっている。ここに全イスラエルの民が揃っていることを確認したい。時系列に説明すると、先にイスラエルは二つに分裂したことを述べた。

 ①北の王ヤラベアムは、礼拝の拠点として、ダンとベテルに神殿を築いたが、それは民にとって重要であったエルサレム神殿に代わるものではなかった。十部族の人々の心は南のエルサレムにあった。北の人々は、南を慕って集団で移住している。

 ②アッスリアとバビロン捕囚は、イスラエル民族全体が捕囚となったのではない。一般民衆は、北と南にそれぞれ留まっていたのであって、捕囚によって民が全部いなくなってしまったのではない。事実を誤認してはならない。

 ③宗教的指導者である祭司が北から南に移動している。歴代誌下11:13「イスラエルの全地の祭司とレビ人は四方の境から来て、レハベアムに身を寄せた」とある。北のすべての地域からリーダーが移動したのである。

 ④全部族から志ある者たちがエルサレムに来た。歴代誌下11:16「イスラエルのすべての部族のうちで、すべてのその心を傾けて、イスラエルの神、主を求める者は、主に犠牲をささげるために。レビ人に従ってエルサレムに来た」とある。

 ⑤ユダの第三代目王アサといえば長期安定政権で41年も続いた。彼は朝も昼も夜も日夜信仰をもって励んだ。「主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる」(歴代誌16:9)。この時代、ユダ、ベニヤミン族以外の部族が来ていた。歴代誌15:9「彼はエフライム、マナセ、シメオンから来て、彼らの間に寄留していた者を集めた。イスラエルからアサのもとに下った者が多くあった」とある。これは引っ越しである。

 ⑥ユダの第13代目王、ヒゼキヤの時代に北王国がアッスリアに滅ぼされた後、北の人々に南に来なさい、と招待している。そこで、アセル、マナセ、ゼブルンなど北から南に来ている。このことは、捕囚後も民衆は北に残っていたことを意味している。歴代誌下30:10,11「アセル、マナセ、ゼブルンのうちには身を低くして、エルサレムにきた人々もあった」とある。

 さあ、エズラ6:16,17の記録によると、北の十部族の人々が失われてはいないことが、はっきりと記されている。「そこでイスラエルの人々、祭司たち、レビびとその他の捕囚から帰った人々は、喜んで神のこの宮の奉献式を行った。すなわち神のこの宮の奉献式において、雄牛一百頭、雄羊二百頭、小羊四百頭をささげ、またイスラエルの部族の数にしたがって、雄やぎ十二頭をささげて、すべてのイスラエルびとのために罪祭とした」とあるとおりだ。

 ある人たちがいうように、ユダヤ人と日本人が同じ先祖を持っていたならば、どんなによいのにと願望を抱くことはあるかもしれないが、しかし、それは事実に基づいたお話ではないのだ。ロマンはあるかもしれないが、都市伝説の域を出ることはないのである。

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