「Do it with thy mightー汝に与うるもの力を尽くしてこれを成せ」

 一般的に「どこの馬の骨か知れない奴」という言葉がある。これは、素性のはっきりわからない者をあざけって言う言葉である。「馬の骨」とは、中国の役に立たない者の例えだそうだ。あまり耳障りの良いものではない。今日、似非の宗教団体やカルト集団が蔓延っているので、私たちキリスト教会としてもやり辛さを感じている。近年においては、オウム真理教の犯罪行為が発覚してからのように思われる。

 「あなたはどのような宗教団体ですか」「どういう組織ですか」「看板に偽りはありませんか」「ちゃんとしたキリスト教会ですか」と、聞きたい方々もおられるかもしれない。ネットでも様々な宗教団体やキリスト教関係の団体などもいろいろと情報を発信している。そして、それらは当たり前のことではあるが、皆いいことしか載せていない。だからうっかりそれに騙されてひっかかってしまうととんでもないことになってしまう可能性がある。統一協会問題もその一つであろう。

 神学校時代の比較宗教学の教授が教えてくださったことの一つに、新興宗教の団体や組織の教祖や指導者の過去を遡るとその人物像が見えてくると言われた。過去においてその人がどういう人格者であり品性の持ち主であったのか、調べてみるのである。意外にスキャンダルによる醜聞や道徳的問題が隠されていたりするのである。

 さて、私たちの教会の信仰のルーツは、英国宣教師であった、バークレー・フォーエル・バックストン師である。バックストン師は、30歳の若さで1890年(明治23年)11月24日(月)、神戸港に神の僕として降り立った。その際、英人居留者たちの大歓迎を受けたのだが、その中に無名の一人の日本人の紳士が彼に挨拶して言った。「ようこそ日本へ。私は一冊の本を読んだことがございます。それは、あなたの御尊祖父であられるトマス・フォーエル・バックストン郷の伝記であります。その本の前書きのところにすべての青年はこのトマス・フォーエル・バックスト郷の生涯を模範とすべきであると記されてありましたので、私は読みました」と。この伝記の主人公こそ、先の「アメージング・グレース」その2、で登場したウィリアム・ウィルバーフォースの後継者となったトマス・フォーエル・バックストンである。

 1984年、7月3日(火)、ウェストミンスター寺院に行った折、地下に下りると、青年時代のバックストン卿の大理石による全身像を見つけることができた。そこには、英語でこのように記されていた。

 「1786年4月1日生まれ。1845年2月19日召天。精神的強健。また広い心を備え、不屈の精神と倦むことを知らぬ力を持っていた。若き時に神の愛の導きによって、人類の益とために、彼の才能を捧げるように導かれた。議会にあっては、刑務所の懲戒の改良、刑法の改正、インドにおける夫の死体と共に妻が生きながら焼かれる風習を止めさせること、南アフリカのホッテントットの解放のために働いた。何よりも英国領の80万人の奴隷の解放のために尽力した。

 この最後の正しい事業においては、10年間に及ぶ困難な戦いの後に勝利が彼と彼の同士に与えられた。”私たちの神の良き御手によって、記念すべき、1834年8月1日、この道が開かれた” 彼の精神は、アフリカにおける奴隷売買を止めさせることに集中して用いられた。その方法は、農業、商業の発達することによって、またキリストの福音による伝道においてであった。そして、力つきて59歳で彼の贖い主(イエス・キリスト)の御元に召されていった。この記念碑は、国内外の彼の友と彼の同労者によって、また何十万人にも及ぶ、アフリカ人の大いなる寄付によって建てられた。」

 この記念碑の文は、彼がどのようなお方であり、どのような働きと貢献をされたのかがよくわかる。トマス・フォーエル・バックストンは、ウィルバーフォース亡き後、奴隷解放を現実のものとした働きが国に認められ、Sir(卿)の称号を与えられ、ハートフォード州のイーズニー(川の中の水島の意味)の一帯(何千エーカー)を賦与された。この地に、バックストン邸(このホームページにその写真がある。現在は、オールネイションズ・クリスチャン・カレッジの名称の神学校として用いられている)が建てられるのであるが、そのメインビルディングの玄関ホールの正面に暖炉があり、その上部にバックストン家の家訓が刻まれている。

 「DO IT WITH THY MIGHT」(あなたに与えられるものは、力を尽くしてこれをしなさい)【旧約聖書 伝道の書9章10節】 思えば、トマス・フォーエル・バックストン卿の生涯は、まさにこの聖書の御言葉どおりであった。奴隷解放のために同労者と共に自らの命を削りながら一日一日を精一杯労し働いたのである。動機は、神の愛であり、キリストの愛に呼応するようにアフリカの黒人たちの奴隷解放の一時のために犠牲を払いながらそれを貫徹していったのである。そのスピリットが見事に、バークレー・フォーエル・バックストン師にも受け継がれていた。彼の日本での宣教もたいへんなご苦労があったが、第二次世界大戦を経て、日本で生まれたご子息たちが戦場で戦死され大きな悲しみと痛みを親として体験されたが、それを乗り越えながら、なおも日本を愛し、仕えて、宣教の業を続けてられたのである。

 宣教師嫌いで知られていたあの内村鑑三師さえ、「彼は人類の花である」とバックストン師の人格から放たれるキリストの香を感じとって賞賛している。バックストン師は、最後の来日となった70代の頃も決して変わることはなかった。まさに生涯を通して神の人であった。「活水の群」の創設者、柘植不知人師は、この神の人の霊的感化と導きと養いを受けその働きを弟子の一人として進められたお方である。今日、この柘植師の信仰を継承する教会が全国に40教会余、各地に立てられている。今年の創立100周年記念を機に、益々、関係教会が、純粋な信仰を堅持しながら、真っ直ぐなホーリーラインを歩みながらそのミニストリーを進めていくことができるように切望している。そして、私たちの教会も同じである。

 皆さん、この飯田入舟教会もこのような信仰の流れにある教会として歴史を重ねてきました。どうか、安心してご来会くださいますように、心からご案内いたします。

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