「昭和維新-2・26事件に思うこと」

 「あぁ、日本は平和だなぁ~」どこで戦争があろうが、地震があろうが、そんなことは自分には全く関係なく、日常の生活の中でこのままいつまでも平和であり続けることを思い描く幸せな人々。こういう人たちのことを「平和ボケ」した人々というのだそうだ。

 「戦争や安全保障に関する自国を取り巻く現状や世界情勢を正確に把握しようとせず、争いごとなく平和な日常が続くという幻想を抱くこと、あるいは自分を取り巻く環境は平和だと思い込み、周りの実情に目を向けようとしないことなどを意味する表現のことである」と辞書に記されていた。確かに、私たちは戦後の日本において長く平和を維持し享受してきた。日本は世界でも稀な国としてこれまで進んできたのではないかと思われる。

 しかし、20世紀の日本を振り返る時、激動の時代をくぐり抜けてきたともいえるのではないだろうか。もうすぐ2月26日がくる。その日といえば、「2・26事件」で知られている。1936年(昭和11年)に起きた日本陸軍の青年将校による軍事クーデターである。「尊王討奸(そんのうとうかん)」「昭和維新」のスローガンを掲げ、「君側の奸(くんそくのかん・天皇の側で悪政を行う者)」を力で排除する計画が立てられた。この事件で、第20代内閣総理大臣で、当時大蔵大臣をとつめていた高橋是清、内大臣の斎藤実、教育総監の渡辺錠太郎らが銃撃で殺害された。内閣総理大臣の岡田啓介の身代わりに私設秘書の松尾伝蔵が射殺された。侍従長・海軍大将の鈴木貫太郎は負傷した。

 その時代背景は、昭和の初期の時代、世界恐慌により日本は深刻な不景気に見舞われていた。都市部には、失業者があふれ、農村部でも農産物の価格が下落したことにより、農民の生活は苦しめられていた。そのような状況の中で、1931年(昭和6年)満州事変以降、資源獲得を目的に大陸の開拓を進めていた陸軍に期待が寄せられていた。当時の陸軍には、統制派と皇道派(こうどうは)と呼ばれる主な二つの派閥が存在していた。統制派は、陸軍の高官が中心になった派閥で、資源のない日本が経済発展を遂げるための経済運営に関心があった。これに対して皇道派は、天皇を中心とした政治体制(天皇親政)を目指した派閥であった。

 皇道派の青年将校たちは、日本国民が貧困にあえぐ中、新しい政治体制を築くために、政財界の要人こそが経済危機を招いた元凶と考え、彼らを実力行使で排除しようとしたのである。2・26事件には、おおよそ1,500名の陸軍兵士が参加した。ところが、事件発生の直後、この事態に激怒した昭和天皇が、これを危機的状況であるとし事態を把握していた海軍に対してクーデターの決起部隊に加わらないことを約束させ、海軍に鎮圧を準備するよう命じた。また戒厳令が敷かれ、天皇の勅令のもと、反乱軍の武力討伐が行われることになったのである。なんと皮肉な結果となったことであろうか。それもそのはず、この事件で殺害されたのはみな天皇が熱い信頼を寄せていた人物だったからである。

 反乱軍は、事件から一週間後の3月4日には鎮圧された。皇道派は一掃され、統制派が陸軍の要職を占め、青年将校らは上告なし、弁護士なし、非公開の特設軍法会議で審理され、17人に死刑判決。このうち2人は自決。うち15人は5日後に死刑執行された。この他思想家2人も死刑となった。かくして青年将校らのクーデターは失敗に終わり、この事件を鎮圧した軍部の政治への発言が強まり、軍国主義が台頭し、後の大東亜戦争につき進んでいくのである。

 今日、1989年公開された映画、「226」をテレビで観た。内容は、主に陸軍将校の側から描いた作品であり、青年将校らの妻子との関係にも多くの描写が割かれていた。それにしても、前半の青年将校らの自分勝手な思想と思い込みによる虐殺はひどいものであった。夫が殺されようとする時、妻が「私を殺して」と言う。また夫が血だらけになって殺された後、妻が「私も殺して」と言う。まさに地獄のような様である。渡辺錠太郎の妻と娘は抱き合って泣き崩れた。この渡辺氏の小さな娘(9歳)こそ、後の渡辺和子氏(シスター・ノートルダム清心学院元理事長)なのである。彼女は、この夜のことを決して忘れることはできないと語っておられた。血だらけになって死んでしまったやさしい父。この深い心の傷となってしまった体験は、渡辺氏がクリスチャンになる時の大きな障害となったことはいうまでもないだろう。

 この映画の最期のところで、自決や処刑される青年将校たちが妻や子のことを思いながら死にゆく場面があった。彼らの死が美化されているようにも見えたが、残される妻や子のことを思うならば、自分たちが殺害した人たちの妻と子のことは考えることができなかったのか。

 青年将校たちの、社会において不正がなされ弱い者たちが虐げられていることに対する義憤については理解することができるが、他の方法はなかったのだろうか。他者の尊い生命を奪っておいて、誰かを幸せにできるという考え方に疑問を持つことはできなかったのだろうか。人間というものは罪深い存在である。自分で何をしているのかわからないのだ。首謀者たちの哀れを思わずにはおられない。

 かくして、反乱は鎮圧されたが、この事件は日本の右傾化に決定的な影響をもたらしたといえる。2・26事件は、軍が国家権力を掌握するという日本の軍部ファシズムを成立させる契機となった。そして、その後日本軍は全面戦争へと突入していくのである。さて、私たちは、現在、四旬節(受難節)の教会暦を導かれている。イースターに向けて主のご苦難を偲び十字架の恵みを深く味わい心備えられたいものである。合わせて、日本のこと、平和のこと、罪のこと、一つひとつのことを思いめぐらし「平和ボケ」から抜け出したいと思う。

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