母教会、徳島の鴨島兄弟教会の旧会堂の部屋に一つの色紙が額に入れられて掲げられていた。そこにはこう書かれていた。「人生辛酸多し されど神は愛なり」と。作者は、升崎外彦牧師。幼少の頃からこの額があるのは知っていたが、その書の意味を知ったのは大人になってからである。升崎師は、何度も教会の特別講師として招かれておられたようでその時にお書きになられたのであろう。
升崎外彦牧師(1892年~1976年)は、明治25年4月、金沢において浄土真宗の名門の寺の独り娘である母と篤信の仏教徒の父との間に生まれた。母は難産で三日後に、「この子を寺の跡目にしてください」と言い残して亡くなった。母の遺言もあり大源寺の後継者になるべく、外彦は6歳の時、他の寺に預けられ、7歳で経文を教わり、10歳で得度した。その後、京都の本山の学校に入学するように勧める父を説得して、自ら金沢の工業学校に入学した。彼は少年期から青年期にかけて人生とは何か、という問題に突き当たって悩んでいた。寝るのを惜しんで仏前に端座して「南無阿弥陀仏」を唱えても教理を聞いても解決しなかった。そして、哲学に走っていった。
しかし、外彦の心は多くの哲学書、宗教書を読破しても解決することなく平安がなかった。但し、キリスト教に関するものだけは一切手を触れなかった。それは、幼少の頃から「キリスト教は日本人の信ずべき宗教ではないこと。またすべての宗教の中でも最も下等で、一番迷信的なもの」と父から強く教えられていたためであった。外彦は、多くの人々に教えを求め名僧にも歴訪して教えを乞い真理を探究するのではあるが、何も得るものはなかった。自死も未遂に終わったが6回も企てたこともあった。
そんな時、外彦は町の十字路で救世軍(司令官山室軍平師)の路傍伝道が行われているところに出会した。彼はその場を駆け抜けようとしたが、そのはずみでいやというほど電柱に頭をぶつけてしまう。よろめき倒れたその瞬間のことである。聖書の言葉が響いてきた。「すべて労する者、重荷を負う者、我に来たれ、我汝を休ません」(新約聖書マタイ11:28)と。これはキリストの招きの言葉で「すべて重荷を負うて苦労する者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」という意味である。外彦は、思わず「僕を救ってください。僕は疲れ切っています。背負いきれない重荷でつぶれそうです。今も自殺しようとしたところです。」と救世軍の仕官の前に膝まづいた。外彦17歳の時である。
「この人による以外に救いはない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」(使徒行伝4:12)。外彦は長い間求め、尋ね、探していたものにめぐり会うことができた。「私は信じます。あなたこそ真の阿弥陀仏、生ける如来様です」と叫んでいた。
この外彦の改宗事件は、東本願寺の大問題となった。宗団側は外彦に執拗に翻意を迫り、最後には「僧籍剥奪、寺門追放に処す」と通知してきた。父は息子を武芸道場に預け、外彦は来る日も来る日も剣道と柔道で竹刀で打たれ、投げられ、締められ、打ちのめされた。特に父は猛烈に息子の心を変えるために打ち叩いた。外彦の体ははずたずたになった。しかし、そのような中にあっても彼は絶えず「主よ、憐れんでください」と祈りよりすがってキリストを捨てることはなかった。外彦は、すきをみて教会に走り、金沢教会で受洗した。そして帰って来て臆せずそのことを父に報告したのである。これがさらに父からの迫害に拍車をかけてしまう。
土蔵幽閉、監視警戒、武芸道場での叱責は益々激しくなっていった。しかし、外彦はこのような苦難を信仰によって越えていった。信仰は鍛えられ、あらゆる体験を通して、苦難のぞうり履きの伝道者として整えられていったのである。そして、外彦は父と別れることを宣言して、最も伝道困難な地に導かれたいと思い出雲に赴き熱心に神の御業に励んでいった。
さて、父は何とか我が子をキリストから奪い返そうと、キリスト教の弱点を探すために聖書全巻を考えながら何度も読み返した。また、息子に多大な影響を与えた救世軍の山室軍平の「平民の福音」の著書をボロボロになるまで読んだ。それは暗唱できるまでなっていたそうだ。父がわからなかったのはイエス・キリストのご人格であった。「人にして神。神にして人なるキリスト。我日夜尊崇しまつる親鸞上人とは比較にならぬ。是は一介の僧侶であるが、キリストはまさに神の御子である」と悟ることができた。
父は、65歳の2月の極寒の時、神秘的体験として白衣のキリストの幻を見た。それから外彦に手紙を書き、外彦を招いて両手をついてうやうやしく謝罪した。その後、71歳で召される際に、息子を出雲から呼び寄せてこう言い残した。「外彦、お前はいいものを見つけたのう。外彦、礼を言うぞ。お前は俺を天国の特等席に案内してくれた大の恩人だ。外彦、礼を言うぞ」。2時間後、けいれんが起こると、手をあげて「外彦、外彦、出雲へ帰れ。キリストのために働いて死ね」と叫びつつ安らかに御国へと召されていったという。
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを、わたしたちは知っている」(ローマ8:20)とあるが、升崎外彦師の人生にもその約束が成就したといえよう。今回ご紹介した升崎外彦物語は、第一章のようなものであるが、彼のご生涯においてその尊いご体験によって、お互いの人生においてたといどのようなことが起ころうとも、どこまでも神が愛であることが証しされている。先にあげた色紙を全国どこ行っても書かれて贈られたようであるが、升崎先生のそのお心が伝わってくると思う。
