題「人生の収穫」ガラテヤ6:7-8

 11月23日(木)は、勤労感謝の日であった。米国では、11月の第4週の木曜日が「サンクスギビング」(感謝祭)として特別に祝われる。定義は、「天来の善きものを公に感謝し祝うこと」である。起源は、1620年11月11日、英国からピューリタン(清教徒)120名が、メイフラワー号に乗ってプリマスに上陸した。彼らは不慣れな新天地の冬の厳しさに苦しんだが、次の年の秋、先住民(インディアン)の協力を得て、多くの収穫を得ることができた。彼らは収穫された作物を神に捧げて礼拝を守り、先住民にも感謝したことがその始まりである。

 ユダヤにおいては、「仮庵の祭」があり、先祖が奴隷の地から出エジプトした後の荒野の生活を記念して、野外に仮小屋を設けて起居し、秋の果実の収穫を神に感謝する祭である。日本の神道の収穫祭は「神甞祭(かんなめさい)」、「新嘗祭(にいなめさい)」と言われ、神嘗祭は、毎年10月に伊勢神宮で五穀豊穣の感謝祭がなされている。世界においてもいろいろなかたちで、地の収穫物を覚えて感謝する営みがなされているようである。

 さて、私たちにおいては、恵みによりすべての善きものを与えてくださる天地万物の創造者である収穫の主に感謝したい。実際、この世にあるものを見まわす時、私たちは何一つ自分で勝手に作り出しているものはない。みな与えられたものである。私たちの世界観は、すべてを無から造り出された創造主が存在しておられることを信じるところから成り立っている。この地球にあるすべての命と物質を生み出し創り出されたお方が存在されるということである。その神は人間に労働する喜びを与え、大地を耕し、種を蒔き、水をやり世話をし、そして、待望の収穫をすることを特権として与えられた。確かに額に汗し労し働くことはたいへんな苦労もある。しかし、その上で収穫する業の大いなる喜びはいかばかりであろうか。

 さて、今日万感の思いを込めて収穫の主に感謝したいのであるが、私たちの人生にも収穫の時があるのではないだろうか。新約聖書のガラテヤ6章7,8節にこうある。「まちがってはいけない。神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう」と。

 これは、別訳を参考にすると「自分の悪い欲望を満足させるために種をまく者は、その結果、きっと霊的な滅びと死とを刈り取るはめになります。しかし、聖霊(神の霊)のよい種(神の御心に添う善きもの)をまく者は、聖霊が与えてくださる(信仰によって)永遠のいのちを刈り取ります」という意味である。

 このような話を聞いたことがある。無神論の哲学と思想を信じて唯物主義的に生きていた男がいた。彼の家族は妻とひとり娘。夫であり父親である彼は、会社を興し仕事は順調で豊かな財を成していた。男は愛人と別居するようになり、全く家族を顧みることがなく、毎月数えるほどしか家に寄りつかなくなっていた。彼は帰る度に妻に離婚を迫り、絶えずけんかをしていた。そんなある日、小学生の娘がガスで自らの命を絶った。
 この娘は父親に遺言を書き残していた。

 「パパはママを大切に。ママを大切にしてあげないと、わたしはバケて出てくるから、そのつもりで」とあったそうだ。これは、この男にとってなんという恐ろしい人生の収穫となったことだろう。多くの財を得て肉欲のために妻子を捨てようとしたこの男の罪は、妻子を泣かせるばかりか、我が子を死に追いやったのである。取り返しのつかない不幸を引き寄せてしまった。彼はおそらく一生涯この罪を背負い苦しみ続けなければならないのではないだろうか。

 しかし、私たちにとっては逆の生き方もある。「霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取る」ことができるのだ。
さて、四国徳島の日本キリスト教団鴨島兄弟教会の設立者、伊藤栄一師は、1995年(平成7年)、教会の名誉牧師として90歳と10カ月で召された。個人的にも4歳の頃にお会いしてからどれほどお世話になったことか。伊藤師は、戦後阿波伝道に人生を捧げられたお方であったが、田舎の牧師でありながら、日本全国、そして世界に出て行って神の福音を宣べ伝えたエバンジェリスト(伝道者)であった。15歳で初めて教会で福音を聞き、世の光であるキリストを救い主として信じて16歳で洗礼を受けクリスチャンになられた。

 それ以来、伊藤師は神の御心に適う「霊にまく者」としてその生涯を歩み続けられたのだ。伊藤師は永遠のいのちの刈り取りのみならず多くの祝福された信仰の結実を得られた。1926年(大正15年)、神への献身の志を得て関西学院神学部に入学。24歳の3年生の年、神学生でありながら開拓伝道に着手。大阪の西淀川教会での働きを開始してから、台湾台北日語教会まで実に15教会の地域開拓教会を生み出すことに貢献された。また、世界の訪問伝道と称して、カナダ、米国(シアトル、サンフランシスコ、ロサンジェルス)、韓国、台湾、香港、シンガポール、北欧フィンランドの伝道にも出向いておられた。

 その中でも一番関係が深くなった台湾の台北日語教会での働きは特別であったようだ。それは、日中戦争中から太平洋戦争の敗戦までの中国本土の伝道がその背景にあった。伊藤師は、日本人がキリストによって救われ神の子として中国人に接しなければ真の人間としての交わりはできないということを体験的に教えられていたからだ。伊藤師は8年間の在中において本当に中国の人たちを尊敬し愛しておられたので、その伝道の働きが祝福され三つの教会が設けられた。しかし、さらに現地の人たちと福音の関係を何とかして築こうとしておられたが、それも途中で断念せざるを得なかった。

 そして、戦後31年目にして、今度は台湾伝道の道が開かれたのだ。台北には台湾の日本語ができる方々の群れがすでにあったようだ。台北には当時1万人ほどの日本人が在住していて、伊藤師は、その日語礼拝を拠点に、まず日本人伝道、そして日本語がわかる現地の方々の救いのためにその働きを進められた。過去の悲しみの歴史を越えて、お互いに福音によって救われ真の交わりができることを切望してのことであった。1985年(昭和60年)、とうとう台北日語礼拝は、台湾キリスト長老教会国際日語教会として新たに発足した。70代の老牧師が前後19回の伝道によって台湾の方々と日本人による教会が生まれたのである。このように福音による親善の架け橋が堅くされて、この教会は今も継続している。

 伊藤栄一牧師は、神学者でも聖書研究者でもない。ただ聖書を間違いのない神の言葉と信じて、キリストの十字架の死と復活による罪の赦しと永遠のいのちの福音を単純に宣べ伝え、それを聞く人たちに素直に信じること、委ねることを語り続けてこられた一伝道者である。その信仰者としての歩みは、15歳から始まり90歳まで。伊藤師は、その信仰生涯を貫いて「主は生きておられる」ことを存在とミニストリーをとおして証された。それは、豊かな「人生の収穫」を示すものでもあった。「霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取る」とあるように、あなたも、神の御心に適う信仰の世界に心の目を開いて信仰によって神に従っていこうではないか。
祝福がありますように。

 

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