| 6月の第三日曜日は、父の日である。1910年(明治43年)、米国ワシントン州のJ・B・トッド夫人が5月の母の日に対して、6月、父に感謝する行事を行ったのが、その最初である。1936年(昭和11年)から全米に広がったとのこと。 その後、日本に母の日のように伝わったのだろう。 さて、昭和の父親像というと、「地震・雷・火事・おやじ」と言われていた。怖いものに父親が入っていた。地震・雷・火事は、今でも怖いが、父親は怖くない、と言う。現代の父親像がある。ある団体が親子関係を調べるために、200人の子どもたちにアンケートをとった。父親より母親に本音を話すことが多い(約半分)。母親より父親に本音を話すことが多い(20人)。理由は、「父親は、すぐ怒る。時代遅れ。話し合いの空気が重い。否定ばかりされる。上から目線が嫌。会話が弾まない」等々。 今は、 子どもたちは、強い父親像を求めていないようで、友達のような父親を欲していることが浮き彫りになったとのこと。昔の星一徹(アニメ巨人の星の主人公飛雄馬の父親)の「ちゃぶ台返し」などはもはや化石状態であるようだ。もし現代に生きるお父さんに対して子が 「父親のようにはなりたくない」と言わせるような原因があるならば、父親としては耳が痛いし大いに反省しなければならないと思う。 そこで「出来の悪い父親のことを子どもはなお尊敬しなければならないのでしょうか」という質問がある。あなたならばどうお答えになられるだろうか。 人間には、父親の出来不出来により存在に対して評価し点数をつけて、尊敬したり、馬鹿にしたり、親子の縁を切るようなことがあってよいのであろうか。 今日の御言葉は、「『あなたの父と母とを敬え』。これが第一の戒めであって、次の約束が次についている。『そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう』」とある。 これは、旧約聖書の出エジプト記20章12節の引用である。有名なモーセの十戒は、創造主によって造られた人間が幸福に生きるための至高の義務が記されている。 第一戒から第四戒までは、神に関わる戒め。 ・あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。 ・あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。 ・あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。 ・安息日を覚えて、これを聖とせよ。 第五戒から第十戒までは人と人との関わりの戒めである。 ・あなたの父と母を敬え。 ・あなたは殺してはならない。 ・あなたは姦淫してはならない。 ・あなたは盗んではならない。 ・あなたは隣人について、偽証してはならない。 ・あなたは隣人の家をむさぼってはならない。 パウロは、エペソ6:2-3のところで、「父母を敬うこと」と「幸福になること」はワンセットであることを述べている。ある人は、自分が過去において親からひどい目にあってきた記憶があるならば、納得できないことであろう。 しかし、父母と子という関係ほど不可思議で密接な関係はない。如何に親を嫌おうと軽蔑しようと、自分が人間として今生きているのは、まず親がいたからである。自分自身が生を得たことは、決して当然ではない。 現実多くの方々が親になろうとしても不妊で親になれない人たちがおられる。当たり前に生まれたのではない。 ある日ある時の精子と卵子との結合と受精。母の胎内で守られた後の出産。さらに、親が他の人と結婚したならばこの自分は存在しなかったのだ。単なる偶然で片づけてはならない親子の関係がある。だから生まれてこなかった方がよかった人などいない。実に神のご摂理により人は生を受けるのである。 今日、「汝の父と母を敬え」の戒めに反発を感じる方がおられたとしても、なおあなたの親は親なのである。縁を切っても親であることに変わりはない。 この御言葉に「但し、出来の悪い親は敬うに及ばない」とは言われてはいない。 神の言葉は、服従を前提にして語られている。信仰とは何よりも神への服従なのである。 主が語られる「汝の父と母を敬え」という御言葉を信じ心から神を畏れかしこみ神に服従するならば、後は神が責任をもってくださる。解決してくださる。神は無責任に命じられるお方ではなく、命令を信じた人たちに真実にお応えくださるのである。そこに幸福があるのだ。 親を敬わない者が、たとえどんなに出世しても祝福されない。おそらく人生の終わりに大きな後悔をすることだろう。 あるところで、愛人を囲う父親に愛想をつかして、娘が家出した。しかし、ある出会いを通してこの聖書の御言葉に触れて、難しいことであったが、家に帰り、父親に謝り、父親を尊敬するように祈りのうちに努力した。何日か経った後、神がお働きになられた。何と父親は、娘の心の変化のゆえに、自分自身の間違いに気づいて、罪を認めて謝罪した。父親は娘に人生を変えることを表明したという。一人の人の神への従順は、神が働かれ不思議な奇跡を起こされたのである。父親も子もお互いに幸福の道を歩みたいものである。 |
題「幸福の道」エペソ6:1-4
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