題「神を知ること」箴言2:1-5

 米国の画家アンディ・ウォーフルは、「人間にとって最も大切なものは何か」と問われて、「お金」と答えた。そして、キャンバス一杯に一ドル紙幣を何百と描き込んだ作品がデビュー作となった。彼はお金好きであることを公言していた。

 やがて朽ち果てるこの世の金銀財宝のために、どんなに苦労してもいとわない人間の姿はある意味で自然であろう。一方で人間は、それが永続的なものでないことも知っている。

 パーマは、「あなたがもし、金をしもべとしないなら、金はあなたの主人になるだろう。それゆえに、むさぼる者は、金を所有していると思っていても、実は金に所有されているである」と言う。私たちにとってそうならないために価値観の転換が必要である。

 さて、私たちの人生において、最大の幸せは、なんといっても神の知恵、知識、悟りを神に求めることが許されていることである。これは幸せの源である神に求めないで自然に与えられるものではない。私たちは、この永遠に朽ちることのない霊的な宝のために熱意をもって求めたいものである。 箴言2章1節から22節までは、知恵を求める者に与えられる結果について記されている。

 ここでの知恵とか悟りは、判断力や理解力を意味している。 私たちがこれを尋ね求めていくならば、「あなたは、主を恐れることを悟り、神を知ることができるようになる」(5節)とある。「あなたは、主を畏れかしこむことを見極め、神の知識を見出す」という意味である。これが人間の幸福の原点なのである。

 まず、第一にこの知恵は、私たちを悪の道から救う。「慎みはあなたを守り、悟りはあなたを保って、悪の道からあなたを救い、偽りをいう者から救う」(箴言2:11,12)。米国にクリーブランドとスミスという青年の労働者たちがいた。二人は親友であった。家にいる以外はいつも一緒であった。工場に行き、帰りに酒を一杯飲んで酔っ払って帰宅するのが習慣になっていた。ところが、ある日、教会で特別集会の案内を見てクリーブランドが、スミスを誘うのであるが、スミスはきっぱり断って酒を飲みに行ってしまった。

 その時が二人の人生の分かれ道となった。スミスはずるずると悪の世界に入って行った。一方クリーブランドは、教会で信仰を持って救われた。それ以来、彼は神の知恵を得て生きることになったのである。 なんと彼は米国第22代、第24代大統領となって大いに国民のために奉仕の人生を送った。クリーブランドが最初の大統領に就任した朝、スミスは刑務所で号外によりそのことを知って地団駄を踏んだと言われている。

  第二に、この知恵は、私たちを誘惑から救う。「慎みと悟りは またあなたを遊女から救い、言葉の巧みな、みだらな女から救う」(同2:16)。「あなたは、他人の妻から身を避けよ。ことばのなめらかな、見知らぬ女から」(新改訳)。 ここでの遊女とは娼婦、売春婦のことであるが、それだけでは なく、淫行の霊に支配されているような人妻で性的にだらしないふまじめな女、男どもを性的魅力によって誘惑し、言葉巧みにへつらう女。平和な一般家庭を破壊する女のことである。

 主を畏れる悟りは、このような女から男どもを救うのだ。 この類のことで身を滅ぼした人たちがどんなに多いことだろう。聖書で有名なのは、士師(さばきつかさ)のサムソンであった(士師記13章24節から16章31節)。映画「サムソンとデリラ」(1949年)は有名である。ビクター・マチュアとヘディ・ラマーが聖書の世界を人間臭くリアルに演じていた。今でもDVDで観られる。男の性(さが)と愚かさがよく表れされている作品である。またケイスは異なるが、これも歴史的人物、英国のネルソン提督。米国の独立戦争とナポレオン戦争などで活躍した英国の海軍の提督(軍営を統率した長官。人妻エマ・ハミルトンとの不倫で知られる)、さらに、天下人豊臣秀吉の異常なほどの好色はよく知られている。こういう人々については、学校の教科書で教えられることなく歴史的評価としてよい事ばかり取り扱うのが関の山であろう。

 だが事実として、確かに彼らはこの災いに身を委ねてしまったのである。また、今の時代も日本のあちらこちらに同様の問題が多くある。性善説のはずの政治家へのハニートラップ(政治家に機密情報などを得る目的で、スパイが色仕掛けや脅迫などで対象者を誘惑したり、弱みを握ったりする諜報活動)は周知のところである。しかし、もしその人に神を畏れかしこむ知恵があるならば、これに勝つことができる。真理が彼を守るのである。

 さて、1796年(寛政8年)、5月4日、伊勢の古市の「油屋」という遊郭で刃傷事件が起こった。「油屋騒動」として知られている。阿波の松平阿波守治昭領分において、はぶりがよかった藍商人三名が、松崎(松坂市)の藍玉販売の出店廻りのついでに、古市の芝居茶屋大阪屋で芝居を楽しみ、よせばよいのに、油屋に立ち寄ったのである。その時代の男どもは、伊勢参拝と古市の油屋参りについては憧れのようなものがあったようだ。

 その日、阿波の藍商人三人は、二階座敷で同店のコンパニオン三人と酒を飲んでいると、夜中階下が騒がしくなり、女の叫び声が闇を裂いた。男どもが下に降りてみると、見ず知らずの一人の男(医者)が、抜刀してところかまわず振り回していた。阿波の藍商人三人は、任侠心よろしく、取り押さえようとするが、それに失敗し一人は切りつけられ傷が深く出血多量で死亡。後の二人は、深い傷を負ったものの命は保たれた。この日、油屋の主人の母親をはじめ九名の死傷者が出てしまった。大事件となったのだ。

 なぜこのようなことが起こったかというと、刃傷事件を起こした張本人の医者は、お気に入りの酌相手のコンパニオンが二階の客(藍商人)の方に行ってなかなか降りてこないことに腹を立てたらしく、酒の勢いで関係ない人々に切りかかり、そして、結局阿波の藍商人の一人を切り殺して二人に負傷させてしまったのである。なんと愚かで無惨な事件であろうか。この犯人は、その日事件現場から逃走するが、逃げ切れず次の日近隣の神主宅で切腹し二日後死亡した。これは、実際にあった江戸後期の事件なのである。地元の山田奉行所に提出された文書に記録されているという。

 どうしてこんなお話を紹介したかというと、この阿波の藍商人の生き残った人物の一人が、私のご先祖であるからだ。彼は、その頃、聖書ともキリストとも出会ったことはなかった。悲しきかな、彼にとって神の真理や神の知恵は、まったく与り知らないものであった。それゆえに、この世の誘惑に対してどうしようもないほど無防備であったのだ。もし彼が神の知恵と知識と悟りを持っていたとするならば、そのような危険極まりない場所には最初から行かなかったことであろう。時代背景があるにしても、私には愚かにしか思えない。

 あの事件後、ご先祖は、舟に乗って阿波に戻るのであるが、帰って来て家族の者に、犯人の医者に臀部を切られて、「尻が痛い、痛い」と繰り返して話していたそうである。子孫として同情してかわいそうには思うが、まったくなさけないお話である。

 聖書は言う。「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う」(詩篇1:1,2)と。
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