題「クリスマスを迎えるために」ヨハネによる福音書17:3

 いよいよ今年も残すところ一か月となった。巷では、どうしても12月は年の終わりなので各官公庁の所謂御用納めの日、12月28日に向かって進んでいるかのように思えてならない。そして、12月31日に日本人は108つの除夜の鐘を聞いて一年間の煩悩を消し去り来年は幸せな一年を過ごしたいものだ、と思いながら床につく。まさに12月は一年の終わりのイメージが強いと思う。

 ところが、キリスト教会暦では異なる。クリスマス前の四回の日曜日を含む期間を「アドベント」(待降節)といって、クリスマスを待つための準備期間として一年の初めとする。流れはこうである。

 待降節(救い主のご降誕記念の待ち望み)→降誕節(救い主のご降誕を祝い礼拝するクリスマス)→顕現節(キリストの神の子としての公現記念)→受難節(キリストによる人類の罪からの救いの出来事である十字架と死)→復活節(救いの完成の証明であるイースター)→五旬節(聖霊降臨節・ペンテコステ、聖霊によりキリスト教会が誕生する)→三位一体節(三一の神が教会を通して世界宣教を推進する。期間は待降節まで)と続く。

 このように、キリスト教会の一年は、救い主イエスのご降誕を待ち望むところから始まり、クリスマスの大歓喜をもって心引き上げられ、感動をもって12月を締めくくるのである。これは除夜の鐘を聞いて一年を終えるのとでは大きな違いである。

 教会の一年間は、前半はクリスマス。後半はイースター。この二つの暦がキリスト教会にとって最も心高鳴る感謝と喜びに溢れる時であるといえよう。 さて、今年は、クリスマス礼拝は、12月22日(日)午前、イヴ礼拝は、12月24日(火)夜、に開催される予定であるが、私たちは、どのようにこの日を迎えたらよいのであろうか。

 それは、クリスマスの主役であるイエス・キリストを知ることである。どんなに「メリークリスマス」「ハッピークリスマス」と互いに言い合っても、もしその主役がどのような存在であるのか知らなければ、どんなにお祝い会をしたとしてもそれは意味がないと思うのは私だけであろうか。つまり主役のいないお誕生会のようなものである。ここに今日のイベント化したクリスマスの悲しみがある。

 ヨハネによる福音書17章3節に、「永遠の命とは、唯一のまことの神でいますあなたと、またあなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」。「ただ一人の、まことの神であるあなたと、あなたがこの地上にお遣わしになったわたしを知ること、それが、永遠のいのちを得る道です」(LB訳)。「その救いを得る道は、生きておられる唯一人の本当の創造主であるあなたと、あなたがこの世に遣わされたイエス・キリストを親しく知ることです」(創造主訳)とある。

 これは、イエス・キリストの父なる神への祈りであり宣言である。人類が永遠の命に至るためには、父なる神を知り、子なる神イエス・キリストを知ることである。

  聖書においては、「知る」とは二つの意味がある。

①知識的に知ること。
 ・Who is Jesus? イエスは誰か?とは、人類2000年間の問いであった。ある人は世界第三偉人の一人という。ブッダ(仏教)とムハンマド(イスラム教)と並べる。ある人は、道徳倫理の教師といい、また慈善事業者の祖という。さらには、イエスは元々存在していなかった架空の人物である、という人までいる。しかし、そのどちらでもない。

 ・不思議な旧約聖書の預言によりイエスが実現したこととただの人ではなく、真実な人となった神であることが分かった。

 ・イエスの存在とその働きは、神話でも寓話ではなく、おとぎ話ではなく、歴史的な事実に基づいていること。

 ・人類の文明の中心におられるお方。世界の歴史は二つに分けられている。BC(Before Christ、キリスト以前). AD(Aanno Domini ラテン語で主の時代)。

・人間の不幸の元凶である人間の罪は赦されなければならない。創造主である神から離れて自己中心に生きることが神に対して罪(的外れ)であること。

・罪は裁かれなければならない。しかし、父なる神は罪深い人間を憐れみ愛して自ら救いの道を計画された。それが御子イエスの十字架の死(人類の罪をご自身が負い身代わりの罰を受けた)と復活(死の力を打ち滅ぼし救いの完成のしるしとしての勝利の甦り)は救いの根拠。

・罪人の罪と死とからの解放と自由。

・そして、地上人生の向こうにある天国の希望。永遠の命に至る信仰を持つこと。

②体験的に知ること。
 これは、単なる知識として聖書やキリストを知っているというのではなく、自ら神の恵みの世界に決心して入ることである。イエスを救い主として心に受け入れることを意味している。よく聖書を信じられない、神を信じられない、と言われる方々がおられる。たがこれは一方で神はいないという強い信仰を持っておられることの告白でもあろう。

 主は、ヨハネ14章11-12節で「わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい(父なる神と同一の神)。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい」と語っておられる。これは聖書によって救い主と出会うことを示している。

  米国にロバート・インガソルという不可知論者がいた。彼はある日、アリゾナ州の知事を任期満了して故郷に帰ろうとしていた友人と汽車に乗っていた。インガソルは、その友人にこう言った。

 「いまだにばかばかしい聖書の教えを信じている知識階層の人が大勢いる。君は教養もあり、なかなかの思想家だ。資料を集めて研究してイエスが架空の存在であったことを証明する本を出してみないか。きっと君は一躍有名になるよ」と。

 友人はその気になって全米と世界をめぐって資料を集め執筆にかかった。しかし四章まで書き終わった時に、彼はイエスがソクラテスやプラトンやシーザーのように実在していた人物であることが明瞭になり、イエスが歴史上の人物であることを否定できなくなった。

 そこで彼は、「もし、イエスが実在した人物であるなら、イエスが自ら主張していることは真実であり、彼が神の子であり、救い主でなければあのような御業は誰にもできないのではないか」と、自問自答するようになり、ついにある晩、生まれて始めて、跪いて神に祈り、罪の赦しを乞い求め、悔い改めて救い主を信じ受け入れた。

 この時、彼はクリスチャンの妻を呼び起こしたそうである。妻は、長い間、無神論者であった夫のためにどれほど祈ってきたことであろう。夫のうれしい告白を聞いた時、彼女は天にものぼる喜びであった。

 そして、その時、夫が「せっかく莫大な費用をかけて集めたこの資料をどうしようか」と言うと、「では、今後はそれをもって、イエスは間違いなく神の子であり、世界の救い主であることを証明する本を書いてはどうですか」との妻の勧めによってあの有名な歴史物語「ベン・ハー」を書き下ろしたのである。

 この人物こそ、米国の政治家、著作家、弁護士、元州知事、南北戦争(北軍の将軍)であった、「ルー・ウォーレス」その人である。やがて、彼が天に召された54年後、チャールトン・ヘストン主演による映画「ベン・ハー」が世界でロードショーされて、多くの人々が、作者本人の化身である物語の主人公である「ジュダ・ベン・ハー」を通して、ウォーレスの信仰告白に触れることができたのである。ハレルヤ!!!

 アドベント第1週目、クリスマスを迎えようとしている今この時、あなたもイエス・キリストの証明である聖書を調べてみていただきたい。そして、救い主イエスにウォーレスと同じように出会っていただきたいと思う。
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