| 一般的に聖書についての誤解があると思う。聖書はキリスト教の宗教の教典であり、道徳倫理を教える本であり、人間の精神的安寧を目的として書かれた宗教意識の記録である、と言われることがある。 日本においては、学生時代に聖書やキリスト教についての教育は皆無に等しい。僅かながら中学や高校の教科書で簡単に概観するだけであろう。世界史や倫理社会の授業で極東の日本から遠い国々で起こって来たキリスト教会(カトリックの魔女狩り十字軍)の歴史を批判的に見るような程度で日本人としての自分に全く関係のないお話として片づけられていたのではないだろうか。 さて、永遠のベストセラーである聖書に記されているクリスマスが今年も近づいているが、待降節(アドベント第二週目)では、救い主イエス・キリストのご降誕は、たまたま偶然に起こったのではないことを証したい。信者にとっては当たり前でも多くの人々にとってはそうではないだろう。 実は聖書の主人公は、イエス(ヘブル語ではヨシュアであり、主は救いの意)・キリスト(油注がれた者・使命ある者の意)なのである。彼がこの地上に生まれることは、何千年も前から聖書の中に詳しく預言されていた。 キリストがいつ頃、どこで生まれ、どのような生涯を送り、どのような死に方をされるのかなど、生まれる何千年、何百年前から旧約聖書に記されていたのである。歴史上、世界的な偉人・聖人という人は何人かいるが、生まれる前からその生涯が預言されていた人はキリスト以外にはおられない。旧約聖書にキリストについて350ほどの詳細な預言があるが、それはどのようなものであったのだろうか。 1.創世記3:15 「おまえ(悪魔)と女(エバ・人間)とのあいだに、おまえのすえと女との間に」(サタンはエバを罪に誘い滅びに引きずりこんだ。しかし、エバ(人間)のすえに生まれて来るであろう、神であり人間であるイエス・キリストによって救いの道が開かれる。キリストは人間の世界に到来することを示している。 2.創世記49:10 「つえはユダを離れず」(つえとは、権威の象徴である。ユダ族には神の使命が与えられている)救い主は、ユダヤ民族の中のユダ部族に生まれること (BC1860年頃)。 3.サムエル記下7:12-13 「わたしはあなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて、その王国を堅くするであろう。彼はわたしの名のために家を建てる。わたしは長くその国の位を堅くしよう」救い主は、ダビデ王の家系に生まれること (BC970年頃)。 4.ミカ書5:2 「ベツレヘム(小さな寒村)・エフラタ(ベツレヘムの昔の呼び名)よ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちから、わたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである」ベツレヘムで生まれること(BC720年頃)。 5.イザヤ書53:5-6 「彼はわれわのとが(罪咎)のために傷つけられ、われわのために(身代わり)砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて(十字架の苦しみ)、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ(救われた)。われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主(正義の父なる神)はわれわれすべての者の不義を、彼(イエス)の上におかれた」全人類の罪の身代わりになって死ぬこと (BC720年頃)。 6.ダニエル書9:25-26 「エルサレム(町)を立て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためではありません」ここで「週」という言葉は、「七の単位」を示しており、文脈からだと一週は七年である。「七週と六十二週」は、「七週+六十二週」で「六十九週」だ。「六十九週」とは、「六十九週×七年」で、ユダヤ暦では一年は、360日だから、日数に直すと「17万3,880日」となる。歴史によると「エルサレムを立て直せ」という命令は、BC445年3月14日にペルシャのアルタクセルクセス王によって出されたことが歴史記録して残っている。その日から、17万3,880日目は、AD32年4月6日で、それが丁度、キリストが受難週の日曜日、エルサレムに入城した日に当たるということである。この預言により、キリストがAD32年にメシヤ(救い主)として出 現すること(BC540年)がわかる。 7.ゼカリヤ書12:10 「彼らはその刺した者(十字架刑)を見る時、ひとり子のために嘆くように彼のために嘆き、ういごのために悲しむように、彼(イエス)のためにいたく悲しむ」からだを釘づけにされ苦難を受けるこ と(BC480年頃)。 以上の預言が実際に起こって成就した記録が新約聖書なのである。その始めが、イエス・キリストがローマ帝国時代の皇帝アウグストの治世にユダヤのベツレヘムに誕生した事実より証明されたことになる。(ルカによる福音書2:1-11)。 さて、マタイによる福音書1章1節から17節までにイエス・キリストの系図が記録されている。その但し書きが、「アブラハムの子でありダビデの子、イエス・キリストの系図」である。 実は、イスラエルの信仰の父とはアブラハムである。 この一人の人物から人類の救いの計画は始まったということがいえる。創世記12章に記されているように、彼は、75歳の時に、神の言を聞いた。「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」(創世記12:3)。旧約聖書は、この神の約束がアブラハムの生涯を通じて成就したことを明確に記している。 そして、それはアブラハムのすえであるイエス・キリストの出現によって、地のすべてのやからが祝福されるという預言の言が事実となったことを意味している。最初はユダヤ民族に限定されているように思われた計画もさらに異邦人であるすべての人々の救いに繋がっていくのである。その意味で私たち日本人も大いにクリスマスと関係があるということなのだ。 皆さん、聖書は神話でもおとぎ話でもない。また一部の人たちの宗教書なのではない。聖書は、神の言であり、神の人類に対する救いの計画の預言でありその成就の記録なのである。「クリスマスはあなたのため」であることを覚えていただきたい。 「恐れるな。すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主なるキリストである」(ルカ2:10,11)。それゆえに、この御言は、全世界の救い主がアブラハムの子孫から生まれたことを表わしているのだ。ハレルヤ!!! |
題「神の預言とクリスマス」創世記12:3
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