| 松尾芭蕉の句で、「秋深き隣は何をする人ぞ」というのがあります。「深まる秋、ひっそりとしていると、隣にも同じような人がいる。いったい何をしている人だろう」と隣人への関心を示し、晩秋に自分の孤独感に重ねて、秋の人恋しさを表現した句です。 日本においてある方々が季節にとらわれず時々口になさることで、「キリスト教会は何をする人たちぞ」というのがあります。 「キリスト教会はよくわからない。ミステリーだ。存在そのものが見えてこない。不気味だ。信者だけで一体何をやっているのだろうか。信者以外の人は集会に参加できないのだろうか。信仰のマインドコントロールなどされないだろうか等々」と。そのような疑問や不安をお持ちの方々のためにも、またそうでない方々のためにも、当教会では、今年も地域と教会員の家族や友人知人の方々にキリスト教会ではどういう人たちがどういうことをしているのか、知っていただき、理解しわかっていただくために、「オープン・チャーチ」の一日を設けました。 今回は、節目の年で教会創立90周年記念集会として、教会学校から礼拝とコンサートまでといたしました。ご来会くださいましたすべての方々に感謝し心から歓迎いたします。 さて、教会の礼拝では、すべてのものの創造者である神と救い主イエス・キリストを讃美と祈りと聖書の学びの傾聴と応答によって礼拝いたします。 今朝も旧約聖書から少しくお話します。ある方がこう言われました。「クリスチャンは酒を飲まないのによく歌うなぁ」と。確かにキリスト教会の印象として、讃美歌を歌うことは一つの特徴です。讃美歌は、神を誉め称える意味があり人類歴史において古くからあります。礼拝から讃美をとってしまうならば礼拝にならないと言っても過言ではありません。 詩篇96:1のところに、「新しい歌を主にむかってうたえ。全地よ、主にむかって歌い、その御名をほめよ」とあります。もう一つあげると、「主をほめたたえよ。主にむかって新しい歌をうたえ。聖徒のつどいで、主の誉を歌え」(詩篇149:1)とある。 ここでの「新しい歌」とは何でしょうか。これは古い歌に対して新しい歌という意味ではありません。それは神が与えてくださった「心の歌・救いの歌」のことです。この歌はこの世の歌と違って、私たちの人生においてどんな状況の中にも失わない希望の歌です。病気になっても、怪我をしても、仕事に失敗しても、歌えなくなる歌ではありません。人生におけるすべてに感謝しながら「ハレルヤ!主を誉め称えよ!」と口ずさみながら生きていける歌なのです。それは、人類最大の敵死すら恐れない力となります。 私たちの教会の信仰のルーツについて触れますと、今から101年前に設立された「活水の群」の創設者柘植不知人牧師の信仰に遡ります。その柘植師が繰り返し宣べ伝えられた福音がありました。それは、「人生の四大問題解決」でした。人生には数多くの問題がありますが、大きく分けて、「生活・病気・罪・死」の四つである。しかし、それらを救い主イエス・キリストが十字架の死と復活によってすべて解決してくださった。この良き知らせを力説されました。この南信州にも多くの人たちがこの福音を信じて救われ、最初は一つの教会であった群がこの町に四つになり現在に至っています。その一つが飯田入舟教会なのです。 ある教会の幼稚園にⅠ君という子どもがいました。この子が砂場に置かれていた太鼓橋の一段に足をかけたとたんに、ひっくりかえってしまいました。まわりの人には、うっかり躓いたとしか見えなかったのですが、実はその原因が脳腫瘍であることがわかりました。I君の両親は熱心で敬虔なクリスチャンでした。そのことがわかってから、一生懸命神さまが癒してくださるよう祈りました。また、所属教会でも熱心な癒しのための祈りがささげられました。やがて祈られている中、頭部切開の大手術が行われました。幸いなことに脳腫瘍は良性のものと診断され、卵大の腫瘍が摘出されたのでした。その後、順調に回復し、小学校に入ることができました。しかし、小学3年生の時、病気の再発で再び手術。術後右手右足に障害が残ったもののI君は中学校にもあがることができました。 そんな14歳のこと、ある日右足に激痛が走り両親は驚いて病院に連れていきました。すると診断の結果、何と悲惨にも骨肉腫であったというのです。しかもガン細胞は肺にまで転移していました。両親はどんな思いでその言葉を聞いたことでしょうか。これは、死の宣告なのです。両親は悩み苦しんだあげく、まだ死の準備ができていなかった息子に一大決心をしてガン告知をしました。世の人は、少年にガン告知は酷ではないかというかもしれませんが、両親は祈り考えたすえ、事実を知らせ、天国の希望を示そうとしたのです。しかし、息子はすでにそのことを感じとっていました。でも、両親に対する心遣いなのか、そんなことをおくびにも出さないでいたそうです。 I君はその現実のただ中、救い主を信じ天国の希望を持ったのです。両親から知らされていたことは、自分が聖なる神のみ前に罪深いものであり、そのままでは神に近づけないことも、天国に入ることもできない。けれども、神の御子イエス・キリストがこの地上に人間の姿をとって人間を救うために来てくださって、自分の罪の身代わりとして十字架につき、死から三日目に蘇って、自分の救い主となってくださったことを認め信じました。そして、心の中に救い主イエスを迎えたのでした。彼はこの時から、顔に笑みが溢れるようになりました。本当の心の歌が歌えるようになったのです。死の恐れの陰は去りました。厳しくも自分を死に追いやる激しい苦痛と闘いながら、不平の言葉も発せず、少しも動揺することなく、優しい心で主の素晴らしさを歌い続けました。「新しい歌を主にむかってうたえ。全地よ、主にむかって歌い、その御名をほめよ」と。 「神さまありがとう。お父さん、お母さん、ありがとう。僕は天国に行きます。みんな、天国で会おうね。ハレルヤ!」が最後に残した言葉でした。I君は最後まで新しい歌・希望の歌を歌い続けながら、ついに15歳の若さで散っていきました。 誰しも少年の早すぎる死に悲しみを覚えたことでしょうが、しかしそれは、絶望でも虚しい死でもなかったのです。残されたすべての人たちとの神の国での希望の再会の歓喜につながる地上での別れとなりました。 あなたにもこの新しい歌を歌って欲しいと願っています。 |
題「新しい歌」詩篇96:1,149:1
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