「本当の心の喜び」

 確か長男が小学生の頃から、テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」は放送されるようになったのではないだろうか。内容は1974年から1975年の静岡市の入江地区で少女時代を過ごした作者「さくらももこ」さんの投影である小学3年生の女の子のお話である。1990年アニメ化されて瞬く間にお茶の間の人気ものになった。

 お話は、毎日のふだんの出来事が学校や家庭を舞台に描かれている。友だち、先生、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、おねえさん。そして、主人公のまる子ちゃんが織りなす、小さな心をくだくお話は人間関係である。おじいさんのやさしいことをいいことに、お小遣いをせしめようとしたり、それを妨げるお母さんがにくい。宿題が嫌いで朝寝坊のぐうたらが好き。温かな気持ちも、無心の毒も、憎めないしぶとさもある。

 視聴者である子どもたちは、時代は違っても「友だちみたいだ」と親しみを感じている。しかし、観ているのは子どもたちだけではない。そこに親がいるのである。時としてどきっとするような「おとな像」をつきつけらることもある。実にまる子ちゃんの姿をとおして、子どもも大人も、自分自身の分身を眺めているような気にさせるのである。その辺のところが番組の長続きの秘訣であるのかもしれない。

 さて、教会というところは、現代人の現場のいろいろなご苦労を思う時、なるべくストレスのたまらない環境を整えることが必要であろう。ある方は、「ちびまる子ちゃん的教会」と言われる。けれども、ある視聴者の方がこう感想を述べられたそうである。「番組を観て家族と一緒に笑ったあとで寂しい」と。現実に引き戻されるのであろう。

 別のアニメに「サザエさん」があるが、あれも人気番組である。最後にサザエさん一家が勢ぞろいでエンディングテーマが流れる中、右から左へ行進して家に入っていく。その幸せな家族の姿を観る人たちの中に「翌日からまた通学や仕事をしなければならない」という現実に直面して憂鬱になるのだそうである。それを「サザエさん症候群」といい日本の俗称となっているようだ。結局、笑いは提供できても、真の心の喜びはこないということなのだろう。

 人間の満足は真に自分が生かされている時に味わうことができる。人間存在における「真に」は、聖書のすべての創造者である神の愛の懐に戻ることなしにあり得ない。神学者アウグスチヌスは、「私たち人間は、創造者の御元に帰らなければ真の平安も喜びも満足も得ることができない」と言っている。当教会は、―心のオアシスでいやされてこの世に仕える教会―として、皆さんのお役に立てるように祈っている。どうぞ安心できる場所に足を運んでいただきたい。祝福を祈りつつ。

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