| 「昔、昔、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました」とは、桃太郎のお話である。この柴刈りのことがわからない青年たちがいるようだ。まず柴は「芝」ではない。芝生の芝刈りではない。柴は山野に生える小さな雑木である。柴木ともいう。これを折って燃料の薪にする。小学校にあった銅像の二宮金次郎が背中に背負っているのが柴木である。柴刈りをする者は、家に持ち帰って生活の火力として使うのだ。 その柴木が聖書に出てくる。イスラエルは、約430年間のエジプトでの奴隷生活を強いられていた。エジプトの王の娘の子として育てられたヘブル人であるモーセは、自らの出生の秘密を知り、同胞を救おうとしてエジプト人を殺害し、救済計画は失敗して王家を脱出して遠くミデアンの地に逃亡した。この地に住むことになったモーセは、祭司エテロの娘と所帯を持ち仕事は羊飼いであった。 40年間が経過していった。そんなある日、彼は羊の群れを荒野の奧に導いて行った。夏は低地に牧草がなく、青草を求めながら南西の高地に行ったのだろう。そこはホレブの山々が峰を連ねているところであった。そこへモーセが登った時、彼はそこで不思議な光景を見たのだ。人の生活の燃料になるはずの柴木が火に燃えているにも拘わらず、燃え尽きないという光景であった。「行ってこの大きな見ものを見、なぜしばが燃えているのに、そのしばがなくならないのかを知ろう」(3節)と言ってモーセはそこに近づいて行った。これは単なる好奇心ではないようだ。2節に「主の使は彼に現れた」とある。 4節には、「主」とあるので、このお方は三位一体の第二位格の御子のことではないだろうか。モーセはご臨在に対する畏敬の念を抱いて近づいたのだ。イザヤ10:16,17「万軍の主は~その栄光の下に火の燃えるような炎を燃えされる。イスラエルの光と火となり、その聖者は炎となり、そのいばらとおどろとを一日のうちに焼き滅ぼす」とあるように、このようなお方が柴の炎の中にご顕現されたのだ。これは聖なる神をモーセに示すものであった。柴が燃え尽きない不思議な光景は何を示しているのか。 ①柴は低い植物で雑木として扱われる。柴をぞんざいに扱うようにヘブル人はエジプトでひどい目に遭う。 ②その民は、どんなことがあっても燃え尽きないことを示している。民族は絶えない。 神はまずモーセを個人的に呼ばれた。かつて柘植不知人師は、「我と汝」の関係を重んじられたが、モーセも同じように、神ご自身と自分との関係に生きたといえよう。ここでも神は他の誰でもないモーセに語られた。そして、「ここにいます」と答えた。すると、主は彼に「足からくつを脱ぎなさい。あなたの立っているその場所は聖なる地であるからである」(5節)と言われた。「くつを脱ぐこと」は、モーセにとって重要な転機となった。主が彼をここに導かれたのは、明確な目的があった。それは、モーセによりイスラエルの民をエジプトから解放することであった。 主は、6節でアブラハム契約をお忘れになっていないことを語り、そして、7,8節でいかにイスラエルの民の窮状を知っておられるかを述べて、そこから彼らを救い出し約束の地に至らせることをお示しになられた。 そして「さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」(10節)と言われているとおりである。そのためには、モーセは自分のくつを脱がなければならなかった。これは、聖なる地で彼の埃だらけのくつを脱げばよいというお話なのではない。 それには、霊的な教えが秘められている。使徒行伝7:23-38に初代教会の信徒ステパノのモーセに関する説教が記されているが、モーセが三つのくつを脱いだことが解せられる。 ①過去の挫折と失敗のくつを脱ぐこと(23-29節)。 ②自分勝手な己を悔い改めること(同箇所)。 ③神への服従表明をすること(35-38節)。 モーセにとって、この三つがくつをぬぐことであったのだ。 ステパノは、かつてモーセは正義感は強かったが、実に自分勝手で熱しやすく冷めやすい存在であったこと。また過去において、すねに傷持つ弱い存在であったことを述べた。しかし、ステパノは「このモーセを」「この人を」「この人が」(35,36,37節)と、このような男が主なる神の御業のために用いられたことを熱く語っているのである。 「こんな自己中心の男が」「こんな挫折してしまった男が」「こんな軟弱な男が」主に用いられたのである、という意味である。ならば私たちにも希望はあるのではないだろうか。私たちも主の証人になること、主のことを宣べ伝えることに恐れを抱くことがあるかもしれない。しかし、そのような私たちを主なる神はあえて用いてくださるのである。 モーセは、このように聖なる地でくつを脱いだことにより新たな出発をしたである。さあ、私たちも神の御業に与るためにくつを脱ごうではないか。 |
題「燃える柴」出エジプト記3:1-6
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