| 「彼はわれわれのとがのために傷つけられ。われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれのために平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ」(イザヤ53:5)とは、私たちのビジョンのみ言である。「風越山の町から世界へ」―心のオアシスでいやされてこの世に仕える教会―。これは、教会の使命のタイトルである。 私たちの新会堂・牧師館建築計画を立ち上げ、全国の諸教会に趣意書発送をしたのは、2020年6月のことであった。あれから3年。遡ること2007年4月の定期教会総会において、会堂建築委員会を設置して以来16年。さらに、将来の新会堂を夢見て土地購入をした1999年12月より24年。教会として実に長い取り組みとなった。そして、昨年の6月には、万感の思いをもって新会堂・牧師館の献堂式をささげ一同感謝と喜びであふれた。これは教会として大きな節目となった。 改めて主とすべての関わってくださった方々に感謝したい。そして、この6月ついに新会堂建築に伴う各種の書類手続きも完了した。いよいよ新しい挑戦のために準備が整ったことを思わされている。今、「時来たれり」の感が強い。皆さんは如何であろうか。思えば、あの2007年の総会において、私たちは21世紀に羽ばたく教会として、教会に与えられたビジョンと使命を果たすために、その拠点となる新会堂・牧師館を求めた。それがここに実現したのである。主を崇めるばかりである。 多くの場合、教会のビジョンや使命などというものはない教会が多いと聞く。場当たり的とは言わないまでも、明確な教会が目指す方向を示すものがないままその働きを漠然と進めている教会があるという。さて、ビジョンと使命は何にたとえられるだろうか。 それは、昔懐かしい「アドバルーン」が適当ではないだろうか。アドバルーンとは、無人の気球や風船を使った宣伝方法の一つである。広告気球のことである。全盛期の頃は昭和時代であろう。あの時代、日本は貧しくても一般家庭も家族で日曜日になると外出をする機会も増えたのではないかと思う。郷里徳島市内にあった丸新デパートは、子どもたちの憧れの夢の世界であった。家族揃って徳島駅で降りて徳島市の象徴的存在の「眉山」に向かって親に手を引かれて歩くのであるが、そちらの方向に丸新デパートのアドバルーンが高くあがっている。 母が言う。「あの下に丸新デパートがあるんよ」。そこには子どもたちのいろいろな喜ぶ品物とおいしいオムライスとソフトクリームが待っている。そのことを思うと幼い子どもは誰でも胸躍らせて足を早める。目印があることは大切なことであり誰もが道に迷うことなく、確かにそこを目指す者はたどり着くことができるのだ。 そのように、教会のビジョンと使命は、私たち教会の存在の目的と神が託しておられるお仕事がわかる確かな宣伝広告のアドバルーンのようなものである。 まずキリストは、私たちの神であり救い主である。私たちの自己存在証明であり、人生を傾けて寄り頼むお方である。このお方は、十字架の出来事により、命かけて私たちを罪から贖いこの世から救い出してくださった。 イザヤはこの事実を「われわれはいやされた」と言っている。イザヤ書は旧約聖書において福音的である。この53章は特別に大きなキリストの預言で有名である。キリストの十字架の受難と贖いの死とが福音書を読むように記されている。 1節から3節は、人々に侮られ捨てられた悲哀の人キリストと人の不信仰の様子が記されており、4節から6節までは、私たち人間の罪と不義を身代わりに負われたキリストのことがリアルに表されている。 これらの一つひとつがイエス・キリストのご生涯に成就したのだ。そもそもこのイザヤ書は、キリストが生まれる750年前に記された記録である。しかし、ある人たちは言う。「ナザレのイエスは悪賢い人間で、苦難の僕として預言されていることが自分に当てはまるように、自分が振る舞えば自分がキリストになることができると企てたのではないか」と。 しかし、それは合理的に考えてもそんなことはあり得ない。なぜかというと、イエスにとって十字架の苦難は彼の敵であるユダヤの宗教者たちや政治家たちが深く関わっているのであって、彼らがイエスに協力して救い主となるために応援することはない。やはり、イエス・キリストこそ、人類が長年待ち望んできた救い主であったのだ。 私たち日本人にとっても同様である。そして、私たちは多くの方々より、少しだけ早くそのことを知らされているに過ぎない。誰一人偉いのでも立派であったのでもない。ただ憐れみによってキリストに対する信仰が与えられ救われて信者にさせていただいたのだ。 このように、教会はキリストによって救われ、いやされた者の群れであり、まさに教会こそ魂の故郷心のオアシスとな.るのである。ここにあるものは何か。「平安、喜び、愛、信仰、恵み、救い、幸せ、赦し、永遠の生命、希望」。私たち人間の魂が欲しているものはみなここにある。それらは、すべてイエス・キリストにあるのだ。 私たちは、そのことをこの世に宣べ伝えるのである。2023年度標語「永遠の命の言葉を告げる教会」―新しい挑戦―。「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです」(ヨハネ6:68)。 教会には、この確信がどうしても必要である。年度目標としては、四つある。 ①幸せ倍加祈りの運動。数年の目標。先にあげた神さまが与えてくださる良きものを多くの方々に提供させていただき、幸せな方々が益し加えられるように祈っていこう。 ②礼拝・祈祷会の充実。それぞれの存在を大切にして、違いを認めあって参集する。そして、そこで神を礼拝し祈り合う。皆で手を携えて共同体としての霊的な信仰的な成長を目指す。 ③教会学校の再構築。子どもたちが教会に多く加わるように取り組んでいこう。子どもが全くいない教会ほど寂しいものはない。先がないのと同じかもしれない。土曜学校から始め新たな子どもたちの加入を求めていく。 ④各部会の充実。男性会、女性会が盛んになり、また、これまでなかった青年会も起こされるように祈っていこう。 ⑤教会外伝道の推進。スモールグループとしての家庭集会の増設。ゴスペルクワイアのOHVの証しと伝道。讃美によってゴスペル(福音)を伝えよう。さらに世界宣教(ウィクリフ翻訳協会手話翻訳)に祈りをもって関わろう。 さあ、「幻なき民は滅びる」(箴言29:18)とある。そのように、時の流れとともに衰退していく地域教会ではなく、ビジョンのある教会として主に生かされて用いられて行こうではないか。 |
題「ビジョンのある教会」箴言29:18,イザヤ53:5,6
目次
