1984年、6月1日、妊婦の妻と共に二年間の英国留学のためにヒースロー空港に降り立った。地下鉄でロンドン・ラッセルスクエア駅まで50分。地下から長いエスカレーターで上がり電話ボックスを探した。その時、何と電話をかけようとしていたロンドンJCFの牧師、盛永進先生が向こうから声をかけてくださった。
盛永先生については、日本を出発する前にある方から紹介されて、神学校に入る前に学ぶことになるロンドンの語学学校入学についてもいろいろご相談してお世話になっていた。英国に到着したその日、ヒースロー駅からラッセル・スクウェア駅まで移動して、駅の出入り口で待ち合わせをする予定であったのだが、国際便の遅れと入国審査で手間取り空港を出たのは、何時間も経ってからであった。それなのに、盛永先生は、これまで電話のやり取りだけの間柄でありながら、まだ直接会ったことのない日本人青年夫婦のために忍耐と親切をあらわしてくださったのである。
先生のお住まいに案内されると正子夫人と共に心からなる歓迎をしていただいた。特に長旅をしてきた者にとって日本茶と梅干のおもてなしは心に染みた。さらには、ロンドン・アビースクール英語学校(ビートルズで知られるアビーロードにある)までドイツ車で送ってくださって、入学手続きの事務も援助してくださった。
「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」(マタイ7:12)とあるが、盛永先生御夫妻は、まさにそのように、英国に滞在した二年半の間、私たちに関わってくださったのである。在英中、息子がロンドン・ロイヤルフリー・ホスピタルで生まれた時も、家族のように接してくださりたくさんのご愛をいただいた。数ケ月後の幼児祝福式の司式もしていただき、私たち家族にとって大切な時に当たり常に寄り添っていてくださった。本当に感謝しきれない熱い思いが今でも心にこみあげてくる。
帰国後、お交わりがなお続き、兵庫県姫路市の日本キリスト教団姫路福音教会に赴任してからも二度に亘り、日本に一時帰国された際には教会での特別講師としてメッセージを語っていただいたことも豊かな祝福の時となった。そのような思い出深い、盛永進先生が、昨年召されたことを最近知った。姫路を離れて以来疎遠になっていて、連絡を取ろうとしたのだが、何度もうまくいかなかった。残念なことであった。
盛永先生のご逝去を思いとても寂しい気持ちである。盛永先生は、鹿児島市ご出身。日本キリスト改革派教会の牧師であられた。日本の教会でしばらくお働きになられた後、志を得られてイスラエルのエルサレムにあるヘブル大学に留学された。エルサレムよりの帰途ロンドンに立ち寄られたことによって、日本伝道隊(JEB)の引退宣教師ミセス・ビーが導いておられた日本人伝道のための集会を引き継ぐ依頼を受け、それから実に36年間、超教派の働きであった日本人キリスト者交わり会(ジャパニース・クリスチャン・フェローシップ)の牧師として尊い海外宣教のお働きにご貢献されたのである。
盛永先生は、ロンドン在住の留学生、駐在員、国際結婚した方々の伝道と牧会(羊飼いの羊の養い)の御業にお仕えになられたのである。現在、先生御夫妻のご愛とお祈りとお世話を受け信仰の結実となられた方々が大勢日本の教会に属して信仰・教会生活に励んでおられる。主の御名を崇め、盛永進先生御夫妻に心からなる感謝をしたい。
先に天の御国にお帰りになられた進先生の上に主の豊かな御報いがあるようにと祈りたい。また、奥様の上にも主の慰めと励ましと希望が日ごとにあるように願っている。
思えば、主なる神は不思議なことをご計画されたものだ。盛永先生は、ロンドンに留まるために来られたのでなかった。確か米国へ渡り留学の継続を念頭におかれながら準備しておられたようである。しかし、主イエスはそれをお許しにはならなかったのである。この出来事は、使徒行伝のパウロの第二伝道旅行に似ている。
「ムシヤのあたりにきてから、ビテニヤに進んで行こうとしたところ、イエスの御霊がこれを許さなかった。そこで、ムシヤを通過して、トロアスに下って行った。ここで夜、パウロは一つの幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が立って、『マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けてください』と、彼に懇願するのであった。」(16:7-9)。
パウロは、この導きを主の御心として信じてそれに従ったのである。盛永先生も同じであったことを思わずにおられない。私たち夫婦は、盛永進先生御夫妻との出会いによって、クリスチャンとしての交わりのこと、忍耐と信仰と決断のこと、多くのことが教えられたことを深謝している。今回は、青年時代の恵みの体験の記憶を思い返し天国におられる恩師に感謝する文章とした。お読みいただきありがとうございました。
