| 成人の日、おめでとうございます。この記念すべき良き日に祝福のメッセージを送りたい。 ある青年がこう言った。「神を信じるような人間だけにはなりたくない」と。この人は、神を信じるような、あなた任せで生きていくよりは、自立的に自信と確信を持ってしっかりと己の人生を歩んでいくんだ、という固い決意があるようだ。それも一つの考え方であるかもしれないが、意外と人間は弱いものである。 自分自身の人生のバックボーンがないと案外いろいろなものに影響を受けやすい。悪習慣に囚われて抜け出せなくなったり、誘惑にすぐに負けたり、一つの事をやり抜くことが苦手であったり、人の声に左右されやすいところもあるのではないだろうか。他にも様々あることだろう。 こんな話を聞いたことがある。 昔、あるところにお百姓さんの親子が一頭のロバを売りに行こうとして二人で引っぱりながら歩いていた。すると一人の男が「一頭を二人で引っぱるのは無駄な話だ。一人はロバに乗ればよいのに」と。それもそうだ思った父親が、息子を乗せると、二人目の人が「おやおや、親にたずなをとらせて、息子がのほほんと乗ってやがる。息子も息子なら親も親だ」と笑った。これを聞いた父親は、もっともだ、と思って、今度は逆に息子にたずなをとらせて、父親がロバに乗ることにした。 すると三人目の人に出くわした。「ほらごらん、あの無慈悲な親を。自分だけ楽をしていい気になっている」と言われた。なるほど、と思った父親は、今度は二人でロバに乗ることにした。すると、すれちがった老婆がそれを見て言った。「まあ、かわいそうに、あんな小さなロバに二人して乗るなんて、全く思いやりのない人たちだ」とため息をついた。 父親はそれに感心して、どうしたものかと思案したあげく「よし、こうしてやろう」と、ロバの四つ足を縛って、それを棒に通し、逆さにしてかついで歩くことにした。ところが、かついでいる方も重くて苦しければ、かつがれているロバの方はもっと苦しい。そこで橋にさしかかった時である。ロバはなぜか暴れ出して棒から抜けて川に落ちおぼれて死んでしまったというのである。全く愚かな親子の話である。 もしお互いの人生のバックボーン(精神的支柱)がなければ、笑い事ではなく誰にでも起こることではないだろうか。実は、この世界にあるすべての生物と物質は創造者である神によって造られた。そのお方の語られた言葉が聖書である。この神のみ言葉は真理の言葉であり、人間にとって当てになり頼りになる。歴史上の多くの人々がこの聖書を信じ頼り、たいへん祝福された生涯を送ってきたことは知られているところである。 リンカーン(米国大統領)、ニュートン(英国の物理学者)、ゲーテ(ドイツの詩人劇作家)、グラッドストーン(英国の政治家)、ルター(ドイツの宗教改革者)、ガンジー(インドの政治家)、カント(ドイツの哲学者)、T・ルーズベルト(米国大統領)、ハーシェル(英国の天文学者、ナポレオン(フランス皇帝)、マザー・テレサ(インドの修道女)、レーナ・マリア(スウェーデンの福音歌手)、新島襄(日本最初の牧師)、新渡戸稲造(日本の教育者、思想家)、新島八重(日本の教育者、襄の戦友)等々。勿論、これらの一人ひとりが完璧な人間であったのではないだろう。弱さもあれば欠点もあったことだろう。しかし、彼らは、神の前に遜り、信仰もってを自らの人生の使命を果たそうとしたのである。 今日は、その一つの神の御言を紹介しよう。 イザヤ42章1節から4節に、救い主イエス・キリストのご使命が記されている。これは父なる神が子なる神であるイエスに語られているのだが、マタイによる福音書12章18節から21節に引用されており、イエスさまと照らして成就したことを指し示している。 選ばれた僕であるイエスさまは、私たちのために、優しさ、励まし、正義、そして真実の特性を明らかにしてくださる。私たちの人生は、山あり谷ありいろいろなことがある。人生に傷つき、あざだらけになり、燃え尽きたようになることもあろう。しかし、神はそのような人たちを優しく拾い上げてくださる。この神の愛は現代においても非常に必要である。「傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道を示す」(3節)とは、イエスさまは、どうしようもない人に対しても、どこまでも変わらない心で道をお示しくださる。 「彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する」(4節)とは、イエスさまが、関わる人に対して、その人がどんなにスローテンポで長くかかっても精も根も尽きたとは決して言わないのだ。また、その人の状態によって早々落胆もされない。最後には、その人の人生の道をはっきりと示し、地上に確立してくださるというのである。「真実をもって道を示す」とは、私の真実ではない。「たとい、わたしたちは不真実であっても、彼(キリスト)は常に真実である。彼は自分を偽ることができないのである」(第二テモテ2:13)とある。イエスさまの真実によってである。このような人生の救い主が他にあるだろうか。 助け手としての両親、学生時代の恩師、先輩などは確かにありがたい存在であることはあろう。しかし、そういう人たちはいつも傍にいるとは限らない。いや、やがていなくなってしまう存在でもある。私たちの一度きりの大切な人生にとって老いても変わらない真実なお方を信じること。それ以上に尊いことは他にないと思う。 |
題「真実をもって」イザヤ42:1-4
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