題「最高の出会い」ヨハネ1:35-42

 カルト宗教については、よく知られるようになった。しかし、なお多くの被害者が出ている。無防備であるからであろう。これについて定義がある。

 特定の組織や指導者が、人々に服従するように思いを変えさせ、反社会的な行為(物質的、経済的、肉体的、精神的苦痛)を行わせる団体のことである。そのためにカルト宗教は、マインド・コントロールという手法を巧みに用いて、人々の心と思いと行動を支配する。

 この点において、バプテスマのヨハネという神の預言者は、真逆の宗教者であるといえる。彼は自分の弟子たちを獲得し支配するような指導者ではなかった。それどころか、自分から注意をイエスに向けさせている。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(1:29)、「見よ、神の小羊」(1:36)。「その二人の弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った」(1:37)。ヨハネは、弟子たちにイエスを指し示してこのお方に従って行くように促しているのである。

 このことは、彼の弟子たちが自分の元を去り、その忠節を新しい教師に移すことを勧めているのだ。ヨハネには嫉妬心や悲しみはない。ヨハネがこの世に生まれた目的は、人々に自分を慕わせるためではなく、イエスを慕わせるためであったのである。彼は荒野に呼ばわる者の声として登場し、人々にイエスを紹介するために来たのだ。

 ふたりの弟子たちがイエスに従うようになった時、ヨハネは大いに喜んだ。彼は声として消えていくことに満足していたのであろう。ヨハネ3:28-30によると、ヨハネは花婿の友人であり、花婿の声を聞いて喜んだのである。「この喜びはわたしに満ち足りている。彼は必ず栄え、わたしは衰える」と。

 ヨハネの二人の弟子たちは、イエスに従う者となった。この二人は、福音書の著者ヨハネとシモンの弟アンデレであった。アンデレは、兄に道端で会った時、「わたしたちはメシア(訳せば、キリスト)にいま出会った」(41節)とあり、このことによって、兄シモンもイエスに出会うことになった(42節)。クリスチャンにとって主イエスとの出会い以上に素晴らしい出会いはない。これは人生最高の出会いなのである。「人生は出会いで決まる」とは、ユダヤ人の哲学者マルチン・ブーバーの言葉であるが、イエス・キリストとの出会いほど最高の出会いは他にない。

 もう何年も前にことだが、青森県で、その年のミス青森に選ばれた女性がおられた。会社や回りの人々から祝福の言葉の連続で、一気に幸せの絶頂を迎えたような日々が続いた。ところが、同じ会社の同僚女性が、彼女がもてはやされているのに嫉妬して、隠し持っていた硫酸を振り向きざまに美しい彼女の顔にかけてしまった。

 ギャーっと悲鳴をあげて、ミス青森は廊下に倒れ泡をふきながらのたうち回った。顔中の火傷、髪の毛も一部抜け落ちてしまった。それは、天国から地獄につき落とされたような一瞬であった。その後、何度も大学病院で手術を受けたが、その美しい顔はもとには戻らなかった。彼女は生きる気力を失い自殺するために線路まで来た。

 その時、不思議なことが起こった。なぜか彼女は小さな頃教会学校に行っていたことを思い出し、死ぬことは後でもできると思いを変えて教会の門を叩くことにした。教会の牧師は、彼女の事情と不幸に同情しながらもイエス・キリストの十字架を語った。ミス青森は、これまで自分は外面だけの美しさをだけに努力してきたが、神の前に自分の心の中が汚れていること、そして、このようになった外面の顔の醜さよりも、心の醜さが問題であることを悟った。人の罪がわかったのである。

 十字架のイエス・キリストの姿は、醜くて、惨めなものであるが、あの醜さは、人間の罪の醜さを美しくするためであったことを教えられ、神の前に自らの醜い罪を告白し、悔い改めて、救い主を心から信じた。彼女はイエスさまと出会い心癒されて新しい人生を歩むようになったのである。

 一方、加害者である元同僚は刑に服し何年かして出所した。ミス青森は、クリスチャンになったことによって、彼女と和解して赦すことを神によって導かれ、何度もそのことを手紙に書いて自分の思いを伝えようとするのだが元同僚は決して信じてはくれなかった。「そんなことがあるはずがない」 

 そして、元同僚の出所のその日、ミス青森は友を迎えに出たのである。元同僚は、困り果ててうつむいてしまった。

 ミス青森は、自分から距離を縮め近づいていって友の肩に両手をかけて、「ありがとう」と一言葉心から言った。「えっなんですって」。戸惑う元同僚を見つめながら、「私は本当にあなたのことを赦しているのよ。このことによって、私は真の美しさに気づき、永遠を考え、イエス・キリストの救いを得ることができたの。私の外側は醜くなったけれども、心の中は雪よりも白くされたの。だから、ありがとう」 

 元同僚は、事情をはじめて理解することができた。そして、彼女に心の底から自らの取り返しのつかない行為を詫びた。道行く人々は、若い二人がそこで和解し感激の涙でむせび泣いている様を見たという。ミス青森は、ここで新たな友人を得た。そして、元同僚もイエス・キリストと出会い、二人はその後助け合って生きることになったと聞く。ハレルヤ。

「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」ヨハネ1:41

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