| ピリピ(ピリッポイ・フィリップ)は、東マケドニヤにあった古代都市。現在も遺跡がある。この町は、ギリシャ帝国のアレクサンドロス大王の父フィリップが建設した。重要な都市で東西間の交通の要所であった。また金銀鉱山があり豊かに繁栄していた。 ローマ帝国のカエサルの死後、BC42年、ピリピ高原で戦いが起こり抗争の末オクタビアヌスがブルータスとカシウスを敗北された。それ以来この地と町はローマの植民地となり、軍事上重要な場所となった。パウロの時代もピリピはマケドニヤ第一の町であった。 パウロは、使徒行伝16:6以下のよるとアジア伝道を考えていたが、主がマケドニヤの救いを求める人々の叫びを幻の中で示され、御霊の導きでトロアスからピリピに渡って初めてヨーロッパに福音を宣べ伝えたのである。 そして、この町に教会が生まれ、小さな群ではあったが、信仰によって幸いな教会を形成していた。またパウロを物心両面からよく援助する恵まれた証の教会となった。 さて、パウロは、この手紙を書いた時、ローマの獄中の人であった(1:7,13,14)。ピリピ教会は、パウロのことを知り、エパフロデトに贈り物を託して派遣した(4:18)。ところがエパフロデトがローマで重病になり回復するため時を要した(2:27)。パウロは、彼が元気になったのでピリピに送り返すため感謝の手紙を書き彼に託すことにした。パウロは、エパフロデトからピリピ教会の現状を直接聞き、三つの教えと警告を与えている。 ①一致すること。「何事も党派心や虚栄からするのではなく、へりくだった心をもって互いに人を自分よりすぐれた者 としなさい。おのおの、自分のことばんりではなく、他人のことも考えなさい。」(2:3,4)。「わたしはユウオデヤ に勧め、またスントケに勧める。どうか、主にあって一つ思いになってほしい」(4:2)。 ②律法主義の危険。「あの犬どもを警戒しなさい。悪い働き人たちを警戒しにさい。肉に割礼の傷を受けている人たち を警戒しなさい」(3:2,3)。 ③十字架に敵対する者。「わたしがそういうのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わた しは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。彼らの最後は滅びである。彼らの神は その腹、彼らの栄光は、その恥、彼らの思いは地上のことである」(3:18,19)。 彼は獄屋において主にある大きな喜びを抱きながら、るためになんとしてもピリピの教会を守愛の手紙を届けたので ある。 さて、今朝の中心聖句を見よう。「あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している」(6節)。 このみ言葉に流れている信仰は何か。 それは、「わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終わりである」(黙示録22:13)と言われるお方を彼が仰ぎ信頼しているということである。 「あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝している」(5節)と語っているが、それは、「良いわざ」である。それを神が中途半端に終えられるはずがないという信仰である。必ず再臨の前までにそれを完成して下さる。決して未完成のまま放置されることはない。 主は十字架の上で、「すべてが終わった(完了した)」(ヨハネ19:30)と人類の救いの完了を宣言された。主のなされた救済の御業は、もはややり残したものは一つもないのである。また天地創造をなさったお方は、「それは、はなはだ良かった」(創世記1:31)と言われた。創造された作品は最高であったのだ。 私たちの神は、何か事を起こされたならば、それを必ず徹底的に貫徹なさることを信じようではないか。ピリピ教会の信徒は、完成させてくださる神を見失い、肉的力に負けて一致していなかった。また信仰生活が異なる教えである戒律的律法的に傾く人たちが出てきた。さらには、十字架抜きの救いを宣べ伝える者と現れた。これらは、教会の大きな妨げになったのである。 しかしながら、教会に問題があるのが悪いのではない。罪人の集まりというものは、多かれ少なかれ問題はつきものであろう。重要なことは、それらを祈りつつ忍耐と信仰をもって乗り越えていくことである。主イエスも世の終わりの預言のところで、「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(マタイ24:13)と言われた。 パウロ自身そのように生きたのではないか。そして、殉教前に「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう」(第二テモテ4:7,8)と言い残している。私たちも完成を目ざして祈りつつ進んでいこうではないか。 |
題「完成させてくださる神」ピリピ1:3-6
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