| 「戦争と平和」というと、ロシアの文豪トルストイの長編小説を思い起こす。内容は、ロシアとフランス(ナポレオン)の戦争を描いたものであるが、激動の戦争をとおして若者たちの生きがいや幸せを問う小説でもある。 さて、現在、平和の祭典であるはずのオリンピックがパリで開催中であるが、フランス各地でテロ行為が多発し起こっている。 また、不条理なロシアによるウクナイナ侵攻。ウクライナとイスラエルとガザ地区での戦争はなお続いている。 また、あまり報じられないが、その他の国や地域においても紛争(アフガニスタン、シリア、リビア、イエメン、西アフリカ、東南アジア等々)によって多くの尊い人間の命が失われている。 一方そのような最中、「平和だ!平和だ!」と叫びながら世界スポーツに没頭するのも何か複雑な心境になる。 あなたは如何か。 「なぜ世界から戦争がなくならないのか。それは宗教があるからだ」と豪語する人たちがいる。 これは、宗教を否定したい人々の主張なのかもしれないが、それは本当なのか。歴史を振り返りたい。 確かに宗教が原因になって戦争が起こったことはある。 11世紀から13世紀にかけてカトリック教会の十字軍が聖都エルサレムをイスラム教から奪還するために戦争した。17世紀にヨーロッパの30年戦争がドイツに起こった。これは、カトリック教会とプロテスタント教会との争いであったが、後は政治問題となっていった。 もう一つは、近代でのアルカイダによる米国の9.11同時多発テロである。そして、昨年10月に始まったイスラム過激テロ組織ハマスによるイスラエルへの蛮行があげられる。これらは、イスラムの聖戦(ジハード)として知られている。 しかしながら、世界史において宗教が原因となった戦争は多くはない。世界戦争百科事典によると歴史上起こった1,763件の戦争を取り上げている。その中で宗教戦争は、123件(6.98%)。その内イスラム教の戦争は66件。それを除外すると57件(3.23%)となる。それ以外の戦争は、宗教に関係ない。大量虐殺も無宗教の独裁者によりなされたものである。 ソ連のスターリン(4,267万人)。中国の毛沢東(3.782万人)。ドイツのヒトラー(2.094万人)。人間が一度権力を握ってしまうと何をするかわからない。現在のロシアのプーチン。中国の習近平、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)、イランのハーメネイー、然りである。古代の権力者もみな同様であった。 私たち普通の民間の人間も彼らと同じような時代の必然と環境と条件と立場を得ることになれば、いつ独裁者に変身するかもわからない可能性があると思われる。 さて、今年も8月15日(敗戦・終戦記念日)を迎えるが、一体平和とは何なのか、このことを真剣に考えてみることが必要である。思えば世の中には、平和を口にしながらも、心の中が平和でない人たちが多い。実際、その人の心が憎しみや敵意、嫉妬や争いに満ちているようでは、本当の平和になるはずがない。 そんなものは偽善以外の何者でもない。では平和を求める人間の心に、なぜ平和がないのであろうか。 それは、人間がエデンの園で神に反抗して以来、人間の心は常に神と人と争ってきたからである。人間と人間、国と国、民族と民族の摩擦や衝突は、根本的に人間の神に対する抗いと闘いを示す一つの表れに他ならない。神と我の立ての関係が破壊されている人間が、他者との横の関係がうまくいくはずがない。 さて、ホセアは、北イスラエルの預言者である。彼は不貞の妻ゴメルとの関係をとおして背信のイスラエルに対する「いつくしみ」神の愛(ヘセド)を示された。そして、その愛を人々に伝えたのである。この6章1節で、ホセアは、神との関係が全く崩れてしまったイスエラエルの民に対して、「さあ、わたしたちは主に帰ろう」と真の悔い改めを促した。ルカ15章の放蕩息子のように、自らの罪に泣き本心に立ち返って悔い改めて父の元に帰ることだ。神との和解と平和こそ人間の真の平和をもたらす秘訣なのである。 「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄されたのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二人のものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。(エペソ2:14-17)。 ここで使徒パウロは、「キリストは、わたしたちの平和である」と宣言している。それは、キリストが、自ら神に敵対している人間の罪を背負わされて十字架にかかり、神と私たちの間を和解させ、平和をくださったことを意味している。今日、キリストの十字架は過去の出来事であり歴史となっており、これからのことではない。 実は、神との平和はすでに成立しているのである。本当の平和はそばにあるのだ。私たちは、いつまでも逃げ回らないで、主イエスによって用意された救いを得るために、主のもとに立ち返ろうではないか。そして、人類が求めてきた本当の平和を頂こうではないか。そうすれば、私たちは、真の平和を享受できるものとされるのである。 |
題「戦争と平和」ホセア6:1-3
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