題「快く眠る」伝道の書5:12

 伝道の書は、ヘブル語で「ディプレー・コーヘレス」という。これは、一つの職を表わし、「集会を招集する者」、「説教者」、「伝道者」を意味している。「ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉」(1:1)という句で始まるのを受け、伝統的に著者はソロモンとされ、特に晩年の作であるとされてきたが、他にマカベア時代、エズラ・ネヘミヤ時代、マラキ時代であったと主張する人たちがいる。

 とにかく著者の目的は、人生における価値の探究であり、人生は生きる価値があるか、生きることには如何なる益があるか、人間最高の幸福は何か、という問題の探究である。そして、本書の最終結論は、「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である」(12:13)とある。

 さて、今回は5章12節に注目したい。「働く者は食べることが少なくても多くても、快く眠る。しかし飽き足りるほどの富は、彼に眠ることをゆるさない」とある。共同訳「たらふく食べても、少ししか食べなくても、働く者は眠りが快い。富める者は食べ飽きていようとも、安らかに眠れない」。

 この文脈では、10節から20節までにおいて、富のはかなさについて言及している。 10節で金銭を多く所有すること自体が人の真の幸福ではないことを語っており、人は金銭を多く所有すればするほど、より多くの金銭を求めて飽くことはないことを指摘している。

 11節では、財産が増えると、それを目当てに「寄食者(居候)」も増える。財産の持ち主が、その財によって受ける喜びよりも寄食者がその財によって受ける利益の方が大きい。持ち主は、それを見ているだけであるという。そして、12節につながるのだ。「富む者」は、充分飲むことも食べることもできる。ところが、財産管理のことを考えると、いろいろ財産上の事柄に心労が募り「安らかに眠れない」。だがこれに反し、自分の肉体を用い働く者は、物質の多い少ないによらず、その眠りは快いのである。まさにそのとおりであると思う。

 こんな話を聞いた。ある所に大金持ちの商人と貧乏な靴屋が同じ建物に住んでいた。商人は二階を占領し、靴屋は一階の小さな部屋に住んで働いていた。彼は、靴屋の仕事をすることに喜びと感謝を抱きながら毎日労していた。一方、二階の商人は自分がどれほど金を持っているかわからないほどの大金持ちで、いつも夜遅くまで金貨と銀貨を数えていた。寝床に入っても財産について心配で眠れない。

 このような金持ちの睡眠不足の中、階下の靴屋は毎日朝早く起きて楽しそうに歌を歌いながら仕事を始め一日中それが続く。商人はうるさくてたまらない。疲れ切ってしまった金持ちは、他人に与える金は惜しいと思ったが、金貨を何枚か袋に入れて靴屋に受け取らせ黙らせることにした。靴屋はびっくり仰天である。

 商人はそのことを靴屋の妻にも誰にも言うことなく隠すように耳打ちした。靴屋は、「これは誰にも見せることはできない。見せたらみんなが私が盗んだと思うだろう」と思った。そこでその金貨を誰にもわからない床の下に隠した。そして、それ以来ずっと彼は近所の人に会うことも避け、最愛の妻さえも、うるさく思うほどになってしまった。

 彼の心は金貨のことばかりに向けられていた。仕事に精を出すこともできず楽しそうに歌を歌うこともできなくなった。

 彼の妻は夫の豹変に悲しみ涙ながらに言った。「あなたは、この頃どうしてそんなに機嫌が悪いんですか。近所の人たちも、あなたがどうしてこんなになってしまったのか不思議に思っています。なぜ以前のように優しく親切にしてくれないのですか」と。

 この妻の言葉に、靴屋は金袋を隠していることが恐ろしくなってきた。そして、これまでのことを全部妻に告白した。それを聞いた妻は言った。

 「私たちは、二階の商人がお金をくれるまで幸せでした。お金ほど恐ろしいものはありません。私たちは、健康です。仕事もあります。この上に何が必要でしょう。そのお金を早く返してください。そうすれば、もとのように幸せな生活に戻れます」と。

 そこで靴屋は、すぐに金貨を商人に返した。それからというもの再び靴屋の夫婦は以前のような幸せ夫婦になったということである。このお話は、今朝の真理をよく表していると思う。どんなに財産や地位があったとしても、安眠できるものではない。私たちの安眠の秘訣は何か。

 先日、ある内科医が熟睡するためにやっている五つの習慣について語っていた。これは参考程度である。

 ①リビングの照明は蛍光灯(明る過ぎる)ではなく、夜の場合は、オレンジ色の照明にする。睡眠ホルモンであるメラトリンがつくられる。②風呂に入る。もしくは足湯をする。深部体温が下がる。そのタイミングで眠くなる。シャワーだけでは効果なし。③風呂から出たらレッグウォーマーをはく。靴下を履く人があるが、それは安眠を妨げる。足先が出ていることによって体温を下げる。これも深部体温を下げるため。④風呂上がりに常温の水を一杯に飲む。これも深部体温が下がるため。⑤①から④に効果を望めない場合は、適当な薬を用いる。昔は、脳の興奮を強制終了するようなきつい薬もあった。また依存性も問題であった。しかし、今日では依存性のある薬ではなく自分の身体のリズムを整える程度の身体にやさしい薬を選ぶことができるそうである。

 最後に、それ以外の安眠の秘訣は何か。それは、何よりも良心の平安ではないだろうか。秘かに隠されている心の中の解決されていない問題があって、それが睡眠の障害になっていることがある。それを心から取り去ることである。主イエスは、言われた。「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな」(ヨハネ14:27)と。

 人間の本質的な問題は罪にある。罪のあるところに平安がなく、喜びも力もない。これにひきかえ、妬み、恨み、怒り、誇り高ぶりの結果、不安と恐れ、苦痛と心配が満ちている。しかし、そのところから救い出すために、イエス・キリストは十字架によって私たちに救いの道を開かれた。どんな眠れない罪の問題を保持していたとしても、もし十字架を仰ぎ、罪を悔い改めて、イエスさまを救い主として信じるならば、たちどころに罪は赦され、心を清めてくださるのだ。

 そのことによって、私たちは神と和らぐことができ、神による平安を心の内に与えてくださるのである。「わたしの平安」とは、そういうことである。神の平安を持つことである。どうか、私たちが快く眠るためにこの神の平安をわがものとしようではないか。

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