南信州に来てこの3月で22年が過ぎる。飯田の教会に赴任した際、ある牧師からこの町の象徴的な山である風越山の登山のお誘いをいただいて数名で登った。下山した時、「これで飯田市民になれましたね」と言われた。風越山は、信州百名山の一つで標高1,535mであるが、登りがいがあった。途中いくつか分岐点があり、始めての場合は地図はどうしても必要である。
いずれの場合も分かれ道には普通標識が設置されていて登山者を案内するが、登山者が誤った方向に行ってしまうと後がとても厄介である。
富士山の青木ケ原樹海の標高は900m~1,300m程度のようだが、ここに迷い込んだら生きて出られないと言われている。松本清張の「波の塔」で有名になった場所である。
昔、ある人が山奥に入った時、道に迷わないように、分かれ道に来ると、木の枝を折り曲げて目印としたところから「枝折り」という言葉が起こったそうだ。とにかく道しるべは大切である。命に関わることになりかねないからだ。だが人生の道しるべはなおさらのこと大切である。お互いの人生にも多くの別れ道(分岐点)があるのではないだろうか。注意していないと、とんでもない方向にいってしまい行先によっては命取りになってしまう。
3月、4月、これから卒業、入学、就職、結婚とそれぞれ大切な人生の分かれ道にさしかかることだろう。周辺におられる人生の諸先輩の貴重な意見や助言があれば、大いに役立てたいものである。
さて、このエレミヤ書は、預言者エレミヤに啓示された神の託宣である。彼は南ユダのヨシヤ王の治世の13年に預言者として召された。それ以来4人の王の時代、さらにバビロン捕囚後のしばらくの期間活動した(AD627年-AD583年)。この時代は、南ユダが崩壊し、民はバビロンに捕らえ移されるという、最も暗く悲劇的な時代であった。
100年前のイザヤはアッスリヤからエルサレムを救うことができたが、エレミヤはバビロンからエルサレムを救おうとして失敗したことによって涙の預言者と呼ばれている。この6章はヨシヤ王の時代の託宣である。ここでは民の頑固な罪のためエルサレムは敵バビロン軍の襲撃を受けること、そしてそれゆえに民の恐怖を預言している。
そのような民に、「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ」(16節)。「道の分かれ目に立って見渡せ。いにしえからの通り道、幸いの道はどれであるかを尋ね、それを歩んで、たましいに安らぎを見出せ」(新改訳)。「十字路に立って、眺めよ。古くからの通り道に尋ねてみよ『幸いの道はどこにあるのか』と」(共同訳)と。
「いにしえの道」とは、「モーセを通じて神が示された正しい道(律法)」のことである。それは、今日は聖書に示されている。
「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである」(第二テモテ3:16,17)とあるとおりだ。
聖書は、読む人を正しい人生の道に歩ませる魂のナミゲーター(案内係)である。私たちが、人生の分かれ道に立つ時、聖書に照らして、それが良い道かどうかを、祈りをもって尋ねていく。よく見渡し見ていく。そして、神が示される道を選び取っていくならば、私たちは心に平安を得て永遠の祝福を受ける人生を生きることができるというのである。
スウェーデン生まれのジェニー・リンド(1820年-1887年)は、英国のオペラ界で人気絶頂のプリマ・ドンナ(第一の女性の意・主役歌手)であった。彼女は、名声や人気を得れば得るほど、それは移ろいやすい虚しいものであると感じた。また歌謡界の競争、嫉妬、陰口、陰謀などで疲れ果てていた。
ある夜、ひとり静かな裏町を歩いていると、一軒の家の窓辺から温かい灯がもれ、清らかな合唱が聞こえてきた。それは讃美歌の歌声であった。その家では家庭集会が開かれていたのである。そこでの讃美歌の歌い方は決して上手でなくても聞き耳を立てていた彼女の心に感動と平安がもたらされた。引き寄せられるようにその家に入り、これが人生の分岐点になった。これを機に教会に通うようになり彼女が長い間求めていた平安と喜びを見出すことができた。彼女は全く変えられてしまったのだ。
そして、今後は神のために歌いたいと願い、オペラ界から引退しようと決心した。ところが、それをマネージャーに申し出たが、ドル箱的存在で多額の興行収入を稼いでいたので何度頼んでも聞きいれてくれなかった。そこで、彼女は一計を案じ、ある夜、舞台でドラマが進行してゆき、オーケストラの前奏に続いて、彼女が最も得意とするところを歌うシーンにさしかかったが、彼女は立ったまま沈黙をきめこんだ。
皆が驚いて見守っていると、突然彼女は静かに讃美歌を歌い始めた。皆はいったい何がおこっているのかわからなかった。けれども、終わってから、こうするより仕方がなかった事情を話し、今後は、神のために歌いたいと決意表明をして会衆に同意を求めた。そして、静かにステージを去って行ったが、会場は騒然となり、あきれる者、怒り出す者もあったが、感動した人々がはるかに多かった。感涙にむせぶ人々に大きな衝撃を与えそれは一生忘れることができない印象的な場面となったのである。
ジェニー・リンドは、人生の分岐点、分かれ道に立ち、聖書の真理に従うことにより大いなる神よりの良きものをいただくことができたのである。「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、よい道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ」。
最後に強烈な言葉で締めくくろう。エレミヤ6章16節の最後のイスラエルの民の言葉、「しかし彼らは答えて、『われわれはその道を歩まない』と言った」と。その決断と選択が民のバビロン捕囚の苦しみに引きずり込んでいくのである。人生のわかれ道・分岐点に立った時の私たちの決断と選択にすべてがかかっているのだ。神の御前において厳かさを感じる。
