題「復活ー嘲笑」使徒行伝17:32-34

「復活」シリーズの最後である。今回は、「嘲笑」についてだ。

 嘲笑とは何か。あざけって笑いものにすることである。一般的に嘲笑の対象になる行為や状況、人物やグループは身近なところにある。ここでは、キリストの復活についての嘲笑である。

 さて、使徒パウロは第二伝道旅行の際、ギリシャの神々と哲学の本山、世界の文化の都アテネに赴いた。
 
「さて、パウロはアテネで彼らを待っている間、市内に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた。そこで、彼は、会堂ではユダヤ人や信心深い人たちと論じ、広場では毎日そこで出会う人々を相手に論じた。また、エピクロス派やストア派の哲学者数人も、パウロと議論を戦わせていたが、その中のある者たちが、言った。『このおしゃべりは、いったい、何を言おうとしているのか』。また、ほかの者たちは、『あれは、異国の神々を伝えようとしているらしい』と言った。パウロが、イエスと復活とを、宣べ伝えていたからである。そこで、彼らはパウロをアレオパゴスの評議所に連れて行って、『君の語っている新しい教がどんなものか、知らせてもらえまいか。君がなんだか珍しいことをわれわれに聞かせているので、それがなんの事なのか知りたいと思うのだ』と言った。いったい、アテネ人もそこに滞在している外国人もみな、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしていたのである」(17:16-21)とある。

 ここでパウロは、哲学者たちとこのように議論をしたが、彼は決して高飛車ではなく、遜った謙虚な姿勢で一般恩寵としての創造主を証し、無知の時代の人々への悔い改めを促し、救い主イエス・キリストによる十字架の死と復活について宣べ伝えたのだ。

 「そこでパウロは、アレオパゴスの評議所のまん中に立って言った。『アテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、【知られない神に】と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。この世界と、その中にある万物を造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。

 こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。・・・神たる者を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。神は、このような無知の時代を、これまで見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられるのである。神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべて人に示されたのである』」(17:22-31)とある。

ところが、「死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、『この事については、いずれまた聞くことにする』と言った」(32節)とある。

 これが復活のキリストのメッセージを聞いたアテネの人々の反応である。「あざ笑う」人々は、一体どのようにパウロの話を聞いたのだろうか。まず、彼らは、目に見えない神がおられてこの世の裁き主として「お選びになったかた」(31節)イエス・キリストなら復活してもおかしくないとは考えなかったということだ。神の示された「確証」(31節)を調べもしないで、「そのような愚かで非科学的なことは信じない」と言って「あざ笑った」のである。

 しかし、そのような人たちの態度の方が先入観を持っていて非科学的なのでないだろうか。この点においては、現在でもある。興味深いことに、日本の科学者でノーベル賞受賞者の二人が、「進化論は、科学で証明された訳ではないので科学ではない。それなのに多くの日本人が進化論は科学であるように信じている。これはある意味で怖いことでもある」と。非科学的なのはどちらかということである。

 復活については、シャーロック・ホームズやエルキュール・ポアロになったつもりで、一つひとつ起こった事と事実確認をしていったならば、客観的な本当のことを手繰り寄せることはできると思う。まず人類の歴史始まって以来、最大の事件であるキリストの復活について、信仰のあるなしに拘わらず全世界の人々の認めるところは、次の三つである。

 ①キリストが十字架の上で死んだこと。②その死体が、アリマタヤのヨセフの私有墓地に葬られたこと。③三日目の朝、その墓がからっぽになっていたこと。

 しかし、なぜキリストの死体がなくなったかについては、意見が分かれていて四つあげられる。①墓を間違えたとする説。②誰かが死体を盗んだとする説。③完全に死んでいなかったとする説。④キリストは復活したとする説。

 ①墓を間違えたとする説は、説得力に欠ける。その墓は共同墓地ても霊園のようなところではなく、アリマタヤのヨセフが岩を掘ってつくった新しい墓であったのだ。死体を墓に納める時も女たちによってその場所が確認されているし、からっぽの墓に弟子たちがかけつけた時も、同じ一つの墓を確認し合っている。もし弟子たちが墓を間違えて復活を主張したならば、そくざに敵はその間違いを指摘したはずである。実際、ユダヤの宗教指導者はそれについて何も言っていない。

 ②盗難説。これは、古くからある考え方である。弟子たちが盗んだ。敵が盗んだ。中立の人たちが盗んだ、の三つがある。まず、敵が盗んで何のよいことがあるだろうか。これはナンセンスであるとすぐわかる。中立の人たちも、ローマ兵が厳重に墓の見張りをしている中、近寄るリスクをおかしても死体を盗もうなどと考えることはない。ありそうなのは、やはり弟子たちが盗み出した説であろう。
 だがこれも当時の現実を知らない人々のたわごとである。もし弟子たちが死体を持ち出したとして、彼らはその死体をどうしたというのだろうか。失意のどん底にあり立ち上がる気力さえなかった者たちが、どうしてあのように力強い復活の証しをもって叫ぶことができたのであろう。悪臭を放ち、白骨化する主の死体を隠しながら、残る全生涯をかけて殉教の死も恐れず、あの弟子たちが強烈な命がけの人生を戦えるだろうか。これらの盗難説も、いずれもまったくの空想である。

 ③キリストは、完全に死んでいなかったのではないか、との説もある。これも当時の十字架による極刑について知らない人たちの妄想である。キリストが十字架で死んだ直後、兵士はキリストの左右につけられていた二人の強盗のすねを折って死を早めた。しかし、キリストのすねは折られなかった。なぜかというとだれの目にも死んでいたからである。それでも念のために兵士たちは、キリストの脇腹を槍で突き刺した。「ただちに血と水が出てきた」と記録されている。これは、心臓破裂による現象である。いずれにしても、槍はだめ押しのとどめになったはずである。

 もう一つのことは、もしキリストが死んでいなかったとしよう。けれども、あのような極刑に処せられ、しかも当時の遺体処理がなされていて身動きができない状態であったことを思う時、さらには、墓の封印までしてある墓の大石(墓の蓋)をどのように内部から転がすことができたというのか【死体の処置として、没薬(もつやく・ミルラ・樹脂・30kgが使われた)と沈香(じんこう)によって固められ亜麻布により巻かれいた。主イエスの場合は、ニコデモたちがしたと思われる】。身体中ぼろぼろであった者が、そのように樹脂により頑丈に固定されていた状態からどのように、それを引き裂いて中から出てくることができようか。これもありえないことなのである。

 このようにすでにある「確証」をよく調べようとはしないで無視するのは、熱狂的な無神論信者の姿でもある。

 もう一つの反応は、「この事については、いずれまた聞くことにする」と言った人たちによって示されている。この人たちは、パウロの述べることを一方的に否定はしないにしても、一応敬意を表するように見せながら、実はこの福音と深い関わりを持ちたくないという傍観者的態度であり、そういう立場を示している。 表面的には良いようだが、本当は良くないのだ。

 「いずれまた」という反応するを人たちは今日も多い。「今、子育て中ですから、子どもたちが社会人になってから、会社を退職して隠退してから、老人施設に入ってから」等々。その場を逃れようとするために言い訳をする人には、この「いずれまた」という言い訳の材料は数限りなくいつまでも続く。 結局、いつまでも信じることができないで人生終わってしまうのである。残念でならないと思うのは私だけではあるまい。

 さて、このパウロのアテネ伝道の結果は、どうであったのだろうか。「こうして、パウロは彼らの中から出て行った。しかし、彼にしたがって信じた者も、幾人かあった。その中には、アレオパゴスの裁判人デオヌシオとダマリスという女、また、その他の人々がいた」(33,34節)とある。 確かにペンテコステの日のように驚くべき数3,000人の人々が救われたわけではないが、少数ながら救われた人々は起こされたのである。

 これまで同じこの箇所からパウロのアテネ伝道の失敗について語ったことがあった。「パウロは、アテネ伝道で失敗して傷心の人としてコリントに入って行ったのである」、という具合にである。しかし、果たして救われた人の数でその働きの評価をしてもよいのだろうか。聖書全体から教えられることはそうではない。ここで 救われた人がいた以上、そこでは神の言葉が語られたのである。そして、その神の御言が働いたのだ。これは、素晴らしいことなのである。

 その証しがこの箇所にある。アレオパゴス(アテネ市民の評議会・裁判、行政問題、教育問題等に携わっていたもの)の裁判官デオヌシオは、法律家である。このような職種の人は、確証と憶測、事実と意見との識別することを専門としていたのではないだろうか。そのようなデオヌシオが説得されるほどに、パウロの語る主イエスの復活についての確証には力があったのだ。考えなしで漠然としたものを彼が信じるはずがない。また、この人は主を受け入れる備えができていたのだと思う。つまり、悔い改めて復活の主を救い主として信じる心の備えができていたのだ。これは大切なことであった。

 教会史家のエウセビオス(3世紀の人)によると、デオヌシオは、アテネの初代監督になり殉教したことと、その後多くの有力な教会と指導者が起こされたことを記録している。このような事実は、パウロの伝道が実を結んだことの証明である。 今日の日本の情況は、このアテネと同じようなものだ。しかし、パウロは言う。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、しっかりやりなさい」(新約訳2017 第二テモテ4:2)と。「わたしは福音を恥じとしない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、すべて信じる者に、救いを得させる神の力である」(ローマ1:16)と宣言している。

 さあ、私たちは、昨年と今年、各種の記念する特別な時を迎え、それらを感謝する中、新しい讃美歌が与えられた。礼拝後、この新会堂においてYouTube発信のためのレコーディングをする運びとなった。曲は「追憶」である。教会とゴスペルクワイア、oh! Happy Voice の長年の歴史を振り返り、その働きを感謝し、主イエスを崇めるとともに、一同心新たにキリストの十字架の死と復活の福音を証し、宣べ伝えるためにこれが用いられることを願っている。働きの大小ではない。果実の多少ではない。たとえこのことによって「嘲笑される」ことがあったとしても、善かつ忠実なものとしてイエス・キリストを人々にご紹介することができるなら、こんなうれしく幸いなことはない。ハレルヤ!!!
目次