題「人生の大晦日を前にして」詩篇90:12

 今年の最終礼拝の日を迎えた。一年間の歩みを振り返り共々感謝したい。年の締めくくりにしっかりと御言を聴いて備えよう。よく物事には、始まりがあれば、終わりがあると言われている。「諸行無常」「盛者必衰」「竜頭蛇尾」という関連の言葉もある。自然の摂理も人生の経験も始まりがあれば、終わりがある。

 このように、私たちのお互いの生命、この地上の生涯にも終わりが来ることを忘れてはいけない。この一年間で四人の神の家族のお一人ひとりが人生の終わりを迎えた。2025年に多くの著名人も逝去された。経済アナリストの森永卓郎氏、アナウンサー・司会者のみのもんた氏、作家の曽野綾子氏、ミスタープロ野球の長嶋茂雄氏、サッカーの釜本邦茂氏、歌手の橋幸夫氏、俳優の吉行和子氏、米国の名優ロバート・レッドフォード氏、俳優・無名塾の設立者の仲代達矢氏などなど。

 人は、若くて元気な間は、いつまでも生き続けるように偉大な誤解をする傾向にあると思われる。しかし、現実はすべての人がやがてその人生を終える時が必ず来るのである。その時には、肉体から霊が離れて創造主の神の死後の世界に一時的に留め置かれて、最後の審判の際に神のみ前に立ち、どのような地上の生活を送ってきたか、一生の総決算をしなければならないのだ。ところが、その日その時がいつ来るのか、私たちには誰もわかっていない。それなのに、多くの人々は、この一年の仕事の総決算は忙しく動きまわりするのだが、人生の総決算について無頓着であるように思われる。

 先週のクリスマス礼拝のストーリーの読み聞かせ「クリスマスキャロル」の金持ちのスクルージではないが、チャンスがある生きている間に備えていないと遅すぎることになってしまう。

 神に、too late!(遅すぎる。手遅れだ」 と言われてしまわないようにしなければならない。

 「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください」(詩篇90:12)とある。「どうか教えてください。自分の日を数えることを、そうして私たちに、知恵の心を得させてください」(新改訳)、「残りの日々を数えるすべを教え、知恵ある心を私たちに与えてください」(共同訳)、「どうか、私たちに与えられた日を数えさせてください。そして、どんなに短いものか気づかせてください。どうか、正しい日の過ごし方を教えてください」(LB)と。

 「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください」とは、自分の人生の残りの日数を数えることによって、知恵深い人生を送らせてくださいというだろうと思う。確かに人は誰でも自分の生涯が何年なのか知らない。

 しかし、一つの見方として、「(平均寿命-自分の年齢)×365日」という人生の数え方は如何か。これは、どこまでも参考にする己の人生の数え方である。たとえば、現在55歳の男性が、平均寿命の81歳まで生きたとする。

 81-55=26。26×365=9490。これによるとその人の残りの人生は、9490日ということになる。30歳の人は、まだまだ終わりは来ないと思っているかもしれないが、81-30=51。51×365=18615。後18615日。40歳の人は、14965日。日数にすると意外に人生は短いことがわかる。確かに医学の進歩で人間の寿命は延びているが、100%の確率で人間は皆死ぬ存在であることに変わりはない。そのような人生をお互い知恵深くどう生きるかということであろう。

 1549年(室町時代 天文18年)、スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルが来朝した。キリスト教日本布教のためであったが、ポルトガルの政治的意図は、領土拡大(植民地化)のためとカトリック勢力の拡大という宗教的国家的目標達成にあったといわれている。経緯は、ポルトガル国王ジョアン三世の要請で、インドに派遣され、さらに日本に到来した。彼は最初日本にキリスト教を伝えた人とされている。1552年、彼は布教のために中国広東省に入ろうとしたが、拒否されて病に罹り46歳の若さで死亡した。遺体は、インドのゴアに埋葬されたといわれている。

 ザビエルが亡くなる8カ月前に、自らを遣わしたジョアン王に書簡を送っている。王は権力者でありザビエルはある意味で下の者である。だが彼は王に対して忠言を述べている。

 「終わりにあたり、陛下のためになお一つのお願いがございます。それは陛下が我らの主なる神のみ前に、やがて行なわれねばならない厳しい計算のことを思い出し、今まで以上に、ご自分の良心について特別のご注意とご心配をなさることであります。それは陛下の臨終にあたり非常に安心して、神に信頼をもつことができるからであります。しかしその反対に、生きている間に神に提出すべき計算を怠けていると、臨終の時には慌ただしく、計算をはじめてやるかのようになってしまい、どうしてよいかわからなくものでございます」と。ザビエルは、よくぞ王も恐れず言ったものである。

 ザビエルは、ここで権力者であろうが、誰であろうが、やがて神のみ前に人生の総決算のあることを記したのである。

 さあ、私たちは年の終わりにいかがであろうか。もう少しで大晦日が来るのであるが、私たちにも人生の大晦日があることを覚えようではないか。チャールズ・ディケンズの化身である「クリスマスキャロル」のスクルージのように、過去の人生を振り返り、反省し、悔い改めて、明日からの生き方を変えること。歩みを改めること。生きる方向を変えること。

 それこそ、いつ人生の大晦日が来ても慌てることのないように、心備えることではないだろうか。 決心のない信仰は空しい。空虚である。聖霊に導かれた決心が人を動かし生かし人生を変えることを信じる。お互いが2025年の終わりにあたり、そのように整えられ新年のために人生のリセットをすることができるように願ってやまない。

 時は流れる。時は過ぎ去る。「光陰矢の如し」とも言われているが、月日の経つことは矢のように非常に速い。それゆえに、先延ばしすることなく、神の知恵をいただき正しい日の使い方を学びつつ、「賢い現実的時間人」(リアル・タイムリーパー)として日々歩んでいこうではないか。

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