| 明けましておめでとうございます。 「七転び八起き」とは、何回失敗しても、それに負けず、また勇気を奮い起こすこと。人生には浮き沈みが多いということ、を教える格言とし知られている。これは人間の頑張りに訴えて奮起を促している。「たとい人生において七度倒れても、頑張ってもう一回起き上がろう」と励ましているのだ。 関連語で、「失敗は成功のもと」、「禍(災い)を転じて福となす」。四字熟語では、百折不撓(ひゃくせつふとう)、不撓不屈(ふとうふくつ)、逆境飛躍(ぎゃっきょうひやく)がある。 元旦の朝、過去一年を振り返り、このような言葉によって、心機一転、今年こそは、と勇気を奮い起こされる方々もおられるかもしれない。 ところで、旧約聖書の箴言24章16節にも、「正しい者は七たび倒れても、また起きあがる」とある。ここでも同じことを教えているのであろうか。どうやら少し違うようだ。実は、「七たび」というのは、回数のことではなく、聖書のヘブル語では、「七」は完全数を意味し「七たび倒れる」とは、完全な打撃、もはや立ち上がれない再起不能の状態を示している。人間の勇気も頑張りも奮起も何も役に立たないことを意味しているのである。 それにも拘わらず、聖書は「また起きあがる」と言っているのは、どういうことであろうか。 注目したい言葉は、16節の「正しい者」という言葉である。ここが日本の格言と根本的に異なるところである。この正しい者とは、世間一般でよく考えられる「倫理道徳的に良い人」のことではない。法治国家日本において忠実に法を遵守し、不正を行うことなく、社会秩序を重んじ立派な社会人として生きている人のことでもない。 ここでの正しい者というのは、神に正しい者とみなされ認められた人のことを意味している。 神に義(義しい者)と認められた者は、「今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない」(ローマ8:1)とあるように、どんなに過去において罪深く汚れた正しくない人間でも、神のみ前に己の罪と汚れを認め、全く遜ってイエス・キリストの十字架を自分の罪のためだと信じ受け入れ救われているクリスチャンのことである。神は、十字架という一方的な恵みを裏打ちとして、その信仰によりその人を「義人」(罪なき者)と認めてくださるのである。 これは、裁判での「無罪放免」を意味する法廷用語である。 このように神に正しい者とされた人は、神を信じ神に寄り頼む人に変えられる。そこから自力での奮起ではなく、神の助けと力づけで奮起することができる。一般的な「七転び八起き」は、人の頑張りに訴えているが、人によっては、その頑張りがきかない場合もあろう。人の頑張りには限界があるものである。 だが、神を信じ神に頼む人は、限界のないお方に繋がっているので、神の大能の力によって、もはや立ち上がれないような状態になっていたとしても、奮起することができるようにされるのだ。 「神はわれらの避け所また助けである。悩める時のいと近き助けである」(詩篇46:1)。 「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。ご自身の御子(十字架の贖いと救い)をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか」(ローマ8:31,32)。 1959年の米国映画「五つの銅貨」は、実在のコルネット奏者レッド・ニコルズの半生を描いたダニー・ケイ主演の作品である。テレビでも何度となく再放送された名作なのでごらんなられた方々もあるかもしれない。 田舎から出て来たコルネット奏者ニコルズは、苦労をしてジャズの世界で一躍有名になった。レッド・ニコルズの楽団は評判で全米中を妻と共に巡業するまでになっていた。一人娘(ドロシー)は当然のように学校の寄宿舎に入れられていた。 だがある年のクリスマスの晩、彼女は帰ってくることを約束した父母を待って、一人寂しく寄宿舎の庭で雨にうたれていた。アメリカ人にとってクリスマスを家族で祝い楽しむことは何よりも大切にしていたことなのに、両親はその約束を破ってしまったのである。この夜身体も心も冷え切ったドロシーは、一晩中高熱で苦しんだ。遅れて帰って来た両親の看護も空しく、このことによって彼女は小児マヒで足の自由を失ってしまった。この思わぬ試練に夫婦は打ちのめされてしまう。 その時、二人は、長い間教会に行っていなかったことを思い出し心から悔い改めた。愛する娘のことよりも仕事を優先した結果このようになってしまったことを心底悔い改めた。彼は思い切って人気絶頂の楽団を解散して造船所の工員として勤め、子どもと一緒の生活を新たに始めた。これは多くの人々の犠牲の伴うものであった。けれども、ニコルズに迷いはなかった。そして、その後両親の熱心と娘のたえまなき努力で、ようやく娘は歩けるようになった。そこまで七年を要した。その頃、ニコルズの名声は、すでに忘れ去られていた。彼のことを多くの人々は知らなかったのだ。 そんなコルネット奏者としてのレッドを惜しむ人々がいた。それは、古い友人ルイ・アームストロング(トランペット奏者)、ベニー・グッドマン(クラリネット奏者)、グレン・ミラー(トローンボーン奏者)などである。ルイの呼びかけに答えてかつての友人たちの世話でコンサートが開催された。そこには、コルネット奏者としてのレッド・ニコルズを迎えるステージが用意されていた。そして、そこに愛する妻と娘が寄り添った。感動的な名場面である。 この日を境に、平和で健全な家庭生活の上に、コルネット奏者としてのレッド・ニコルズの再出発が始まったのである。 ハレルヤ! 「正しい者は七たび倒れても、また起き上がる」。 |
元旦礼拝 題「七転び八起き」箴言24:16
目次
