題「愛の条件」ヨハネ3:16  クリスマスショートメッセージ

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(新改訳聖書)。

 この言葉は、クリスマスの意味を明確に示している。ここにクリスマスの意義が神から示されているのだ。

  ①「神は愛であること」。一般的に愛は何かというと、人や動物に対して心ひかれ非常に気に入って、いちずにかわいがることである。男女間では好意を持つこと。慕わしく思う。好きだという気持ち。恋しいことである。また肉親愛や友情愛もある。しかし、神の愛はそれらとは異なっている。考えてみると私たち人間の愛というものは他者に対して愛するのに条件や理由をあげるのではないだろうか。だが、神の愛は、条件や理由づけをして愛したり愛さなかったりするのではなく、神は愛だから人を愛してくださるのだ。それは差別しない愛、自分勝手でない愛、変わらない愛、傷をつけない愛、あてになる愛、真実を貫く愛、誰でも納得する愛。それは、命がけの犠牲の愛である。神はこの世を愛された。それはあなたを愛されたということである。そして、お生まれになられた「イエス」というお名前には、「人々を罪から救う」という意味がある。まさにそのことのためにキリストはこの世に来られたのである。それだけではなく、全世界の人々の人生の重荷、苦しみ、悲しみ、死の問題にも解決を与えて救ってくださるのだ。それがクリスマスに現わされた神の絶大な愛なのである。

 ②「神の愛は深い愛であること」。海底には、富士山を逆さにして埋めても、なお深いところがあるそうだ。そのように深く閉ざされた人の心にも届く愛をもって神は人類を愛された。最も深い愛は、人類の罪の裁きの身代わりとして、ひとり子なるイエスさまを惜しまずに与えて十字架で処刑され裁きを実行されたのである。これは神の最高の愛であり犠牲であった。これを「贖いの愛」という。このような愛によって救い得ない人は一人もいない。

  ③「神の愛は限りなく続くこと」。神は、この贖いの愛を信じ受け取った者の罪を赦し汚れを清めてくださる。その方法は、人間の努力や修行ではない。また莫大なお布施と引き換えではない。実にその人の信仰によって救ってくださるのである。救いのために必要なことは、全部イエスさまが代わりにしてくださったので、私たちがすることは、神の恵みをただ信じ受け取るだけである。その時に愛の奇蹟が起こる。神はその人に神の子の身分と立場を与え滅びではなく、永遠の生命の希望に生きる者とされるのだ。これは、どんなに年をとっても奪われないもの、永遠に至る大いなる希望である。皆さんに知って欲しいことは、神に愛されるのに条件も理由もないということだ。神は愛なのであなたを愛されるのである。

 アメリカに一人の男がいた。子どもの頃、腕力と気の強い母親に育てられ、身も心もいつも傷だらけ、愛されることに乏しく、誰からも必要とされていない自分に嫌気がさしていた。移民の背景があって少年時代から外国人としていつもいじめられ、叱られ、ばかにされて「劣等感」の屈辱に一生懸命に耐えていた。しかし、彼にも限界があった。ついに、人生に対して、斜めに構え、アメリカ社会に背を向けた。そして、運命の日の1963年11月22日。彼は、ジョン・F・ケネディ大統領に向けて、銃の引金を引いたのだ。彼は事件直後、逮捕され「暗殺者」とされ、犯行を否認したまま暗殺されてしまった。

 ある人は、彼の自業自得と言うかもしれない。ある人は、彼は誰か黒幕の罠にかけられ犯罪に誘導されていたのかもしれないと言って同情しているかもしれない。いずれにしても、彼がもっと違った人との出会いと人生選択をしていたならば、全く違った一生を送ることができたのではないかと思わずにいられない。本当は彼だけではなく世の中には多くの方々が、生まれながらにして、差別やいじめ、不条理で悲しい運命の重荷を背負わされて生きておられるのではないだろうか。

 しかし、私たちは負けてはならない。あなたは神に愛されている。あなたは神に必要とされている。救い主はあなたを救われるのである。三重の苦しみを負ったヘレン・ケラー、アメリカ16代大統領のリンカーン、身障者として生まれたレーナ・マリア、瞬きの詩人の水野源三などは、過去の不幸と不運に縛られるのではなく、神の愛のメッセージに応じた人たちである。彼らは自らが背負っている人生の多くの重荷と苦悩を、イエス・キリストに下ろした人たちでもある。そして、神の働きに豊かに用いられていったのである。神は、彼らを「・・・にもかかわらず」愛されたのだ。あなたも神の愛の招きに応えていただきたい。祝福がありますように。
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