| 最後の晩餐とは、ユダヤの「過越祭(ペサハ)」の食事の場においてなされた。過越祭とは何か。かつてユダヤ人はエジプトで430年間奴隷として苦しんでいた。しかし、指導者モーセによりユダヤの民は引き連れられてエジプトを脱出することができた。これを記念するのがこの祭である。 さて、エルサレムの異邦人聖書研究所において最後の晩餐(過越祭)のセミナーに参加したことがある。たいへん貴重な学びと時となった。これらの内容は、聖書を読むだけではわからないし、イスラエルに研修旅行をしたことによって初めて知ることができた。最後の晩餐の記録は、四つの福音書にそれぞれ記されている。四旬節(受難節)の期間にぜひ以下の聖書箇所をお読みいただきたい。 〇マタイ26章17節-29節。〇マルコ14章12節-25節。〇ルカ22章7節-38節。〇ヨハネ13章1節-38節。 〖過越祭の食事(最後の晩餐)の順序〗 ①挨拶。玄関で主人(イエス)が客を出迎え「平和があなたと共にあるように」と祝福しながらお辞儀をする。歓迎の心を表わすために客(弟子たち)の肩を軽く抱いて両頬に接吻する。その後、弟子たちは用意されている席につく。レオナルド・ダ・ビンチが描いた壁画の最後の晩餐の食卓は、ルネサンスと西洋文化の影響があるもので脚長のテーブルになっている。それはユダヤの食卓ではない。ユダヤの一般的な食卓は高さ15cmくらいでコ型の平たい作りになっていたようだ。ユダヤ人はこのテーブルの外側に寝そべって横になった状態で食事をするのである。 ②洗足。主人は客の汚れている足を一人ずつ洗う。 ③香を焚く。芳香により部屋が満たされる。 ④香油を注ぐ。客の頭と足に注がれる ⑤第一の杯(聖なる杯)。主人は「ぶどうの木で造られた宇宙 の神を感謝し讃美します」と祈りながらぶどう酒の入った杯を持って過越祭を祝福する。祈りの後、客は主人と共に杯を飲み乾す。 ⑥食事前の手洗い(鉢の水)。ユダヤ人は過越祭の前に沐浴する。身を整えるのである。 ⑦苦菜をそのまま食べる。エジプト時代の苦役を思い出す。 ⑧種なしパン(マッツァ)を食べる。主人が、「宇宙の神の御名を讃美いたします。あなたは王です。 この地にパンを与えてくださったことを感謝します」と祈り祝福する。 ⑨第二の杯(解放の杯)。この杯は出エジプトの出来事を覚え奴隷解放を感謝し喜びを表す。一般家庭では、一番年の若い子どもが一家の家長に質問する。「どうしてこの日は、いつもと違うのですか。なぜ苦菜と種なしパンを食べなければならないのですか」と。そこで家長は出エジプトの出来事を子どもたちに教えて子々孫々と語り伝えるのである。 ➉苦菜を鉢に入れてある塩水に浸して食べる。苦菜はエジプ ト時代の苦しみ。塩水は苦しみの涙を表わす。 ⑪マッツァを塩水に浸して食べる。出エジプトの前の過越し では、パンを早く焼き食べる必要があったのでパン種が除かれたが、伝統的には罪を取り除く意味がある。塩水は同様に苦難を表わす。 ⑫讃美(詩113篇)。皆で歌う。 ⑬第三の杯(贖いの杯)。マタイ26:27-28の契約の血について はこの第三の杯。小羊の血潮を象徴している。 ⑭小羊の食事。弟子たちは、この時伝統的な過越祭の最も重要な贖いの杯と小羊の食事の意味を理解していなかった。だが何千年も守られてきた過越しの営みの中に何とキリストの十字架が予表されていたのだ(ヨハネ1:29)。過越しの主役は主イエスであったのだ。 ⑮第四の杯(希望の杯)。エリヤの杯とも呼ばれており、救い主の待望を示す。最後の晩餐の夜、主と弟子たちはこの杯を飲んでいない。主は第三の杯を飲んだ後、「わたしの父の国であなたがたと共に新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことはしない」(マタイ26:29)と誓われたからだ。 だが主は、別の第四の杯を飲まれた。それは、主のゲツセマネの祈りに合わせるとわかる。「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしか過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」(マタイ26:39)と。この杯とは、十字架という苦き杯である。主は父なる神に差し出されたこの杯を全部飲み干すことを決意され、実際に十字架の刑場へお進みになられたのである。十字架こそ希望そのものなのである。 ⑯讃美(詩篇114-118篇)。皆で歌う。 ⑰最後の祝福の祈りをささげて終わる。 さて、主の洗足と十字架の贖いとの関連について確認しておきたい。洗足は主人の挨拶の直後に行われた。13:1-11は、主イエスの洗足。12-20は、洗足の教訓について記されている。 ア、洗足は奴隷の仕事。「イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、夕食の席から立ち上って、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた」(3-5節)とある。これはたいへんなことである。洗足の仕事は、奴隷のする卑しいものと見られていた。誰も奴隷の仕事をしたくなかったので、弟子たちは、主の足を洗おうともしなかった。そこでイエスが立ってし始められたのである。どういう背景でそうなったのであろうか。ルカ22:14「時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた」とある。 イ、なぜ主人がされたのか。主はこの晩餐会を大切な時としておられた。十字架を前にした夜であり遺言的言葉を弟子たちに残しておきたいと切に願っておられのであろう。ところが、弟子たちは、自分たちの中でだれが一番偉いだろうかと言って、争論が彼らの間に起こった(22:24)とあるように、こともあろうに弟子たちは主のみ傍で醜態を演じたのだ。だが主はそのような弟子たちを尻目に、弟子たちの下まで降りてきて、僕になって彼らの汚い足を洗われたのである。ユダヤにおいては、足とは歩みであり行動を意味していた。古代において外を少しでも歩くならば、当然その足が埃だらけ、泥だらけになってしまう。 ウ、洗足の中に主の贖いの真理が隠されている。ここで主が彼らの足を洗うという行為は、彼らの行いの罪や過ちを洗うことを意味していたのだ。ところが、ペテロはもったいないと思ったのであろう。主の洗足を断った(6,8節)。すると主は、「わたしのしていることは今はわからないが、あとでわかるようになるだろう。もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんのかかわりもなくなる」(7,8節)と言われた。 エ、洗足を拒むならば主との関係がなくなる。洗足とは、単に汚い足を洗うことではない。やがてキリストが十字架にかかり永遠の贖いと救いを完成してくださるのであるが、洗足はそのことを象徴的に弟子たちに教えている。イエスは、弟子たちに私の赦しと清めを受けよ、と言われるのである。その洗足を拒むということは、救ってくださる神の恵みを退けることになることを示しておられるのである。遜って汚れた足(罪人の人生・生活)を洗っていただくことが肝要なことである。 オ、誰が一番偉いかと論争していた弟子たちは(ルカ22:24-26)、自分たちの罪さえわかってはいなかった。しかし、「あとでわかるようになるであろう」(13:7)とあるように、主の贖いを体験し人に仕える者とされるのだ。また、最後の晩餐で語られた「互いに愛し合うこと」を想起することになる(13:34)。 カ、ペテロに焦点をしぼって言うならば、彼は単純でおっちょこちょいの多血質の人間である。ペテロが本当の意味で自分自身と己の罪について向き合い分かったのは、大失敗をした時であった。「足を洗わないで下さい」と言ったペテロは、次には「ほかの者が全部つまずいても、私は決してあなたを裏切りません」と言った。彼は、自分だけは大丈夫であるという自負心が強い男であった。これがくせ者なのである。言っていることもやっていることも立派に見える。でもそれは、信仰ではなくみな自負心から来たものであった。それだから、ペテロは主が敵に渡される木曜日の夜躓き、金曜日の朝方、鶏が鳴く前に三度主イエスを否んでしまった(13:38,18:27)。 その時、「主は振り向いて、ペテロを見つめられた。そのときペテロは、『きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう』と言われた主のお言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた」(ルカ22:61,62)。ペテロほどの自我が強い人は、これほどの大失敗と大恥をかく必要があったのだ。彼は自我に砕かれる体験がどうしても必要であった。今日、自信があり自分は大丈夫と思っている人は、いつか砕かれることが必要だと思う。ペテロは自我が砕かれ悔い改めた後、復活とペンテコステの出来事を経て、聖霊に満たされたクリスチャンとなって用いられていったのである。 一方、イスカリオテのユダも、ペテロと同様、自我、自負心、自尊心が強い人間であった。しかし、キリストを裏切った後、悔い改めることはなかった。彼もペテロと同じ道を歩むならば、弟子としてやり直しができたはずである。残念でならない。 さあ、私たちはたとい自己絶望しても、悔い改めてイエスの愛と赦しによって再び立ち返ろうではないか。 |
題「最後の晩餐」ヨハネ13:1-30
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