| 母の日礼拝にお母様方をお迎えすることができ感謝である。お一人ひとりの上に主なる神の豊かな恵みと祝福があるよう祈りたい。 神は成人としてアダム(人間という意味)とエバ(すべて生きた者の母の意味)を造られた。創世記3:1-13において、人間の堕落物語が記されている。エバは、神への不従順の罪により自分と夫に死をもたらし、人間の歴史に恥辱と悲惨を持ち込んだ。神に背くことがどんな恐ろしい結果になるのか、エバは全く分かっていなかったのだ。 「被造物が虚無に服した」(ロマ8:20)のもエバの罪が原因であった。 それなのに、夫アダムは、素晴らしい名を彼女につけた(3:20)。先に、神はアダムとエバに罪を負う者としてその裁きと呪いを受けなければならないことを告げられた。 ところが、その直後に、「さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである」(20節)とある。 かつて、神が眠らせたアダムのあばら骨の一つを取って女を造られた時、彼は女に夢中になった。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉」2:23)とラブソングを歌った。 だが、その女に誘導されて神に背くことになり、その自分の罪を棚に上げて、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」と言い訳をしている(3:12)。その時点で夫の女に対する愛は冷めてしまったといえよう。しかし、神に背き罪を犯し罪人となったのは、夫婦同罪であることが指し示された時、アダムは自己責任を認めたのみならず、妻に対する憐れみと愛を取り戻していた(3:16-19)。 やがて死という運命に定められながら子を産む者としての女性の存在の尊さを認識したのかもしれない。 しかし、それ以上に3章15節の神ご自身による預言の言葉に希望を見出したのではないだろうか。「わたしは恨みをおく、おまえと女のあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。別訳で、「わたしは、おまえと女との間に、またおまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」ここは、原福音と呼ばれており、キリストの福音(良き知らせ)が、予表されている。 これは、救い主イエス・キリストの降誕と十字架による人類の救いの預言である。アダムとエバは悪魔の誘惑に負け罪を犯し永遠に滅んでしまう者となってしまった。しかし、憐れみ深い神は人類を罪と刑罰から救うために救い主を与える約束を与えられたのである。 「おまえ」とは、悪魔のこと。「女のすえ」とは、キリストを指している。女のすえから生まれるイエス・キリストの十字架と復活により、完全に悪魔の「かしら」を砕かれる。だが救い主は十字架という苦難をなめることによって悪魔から「かかと」を砕かれることになる。 ヘンリー・M・モリスは、この箇所をこのように解説している。 「のろいは表面上ヘビに対して宣告されましたが、その真の打撃はヘビの身体とその言葉を支配した悪意ある霊(悪魔と呼ばれた古きヘビー黙示録12:9)に対するものでした。地球は初めに人の支配下に置かれました。しかし、神のことばの代わりにサタンのことばに従うように人を説得することによって、サタンは第一の男と女を味方につけることができ、したがって、すべての子孫も味方にできたと考えたことでしょう。 そして、計画として彼らはサタンと同盟を結ぶだろうし、彼らの努力を得て悪い天使(悪魔に従った堕天使・悪霊のこと)の軍勢は神を王座からひきおろし、神を征服するでしょう。サタンは今や「この世の神」(第二コリント4:4)となりました。特に未来の子どもを産むはずの女は進んでサタンに従うはずでしょう。女は男を支配できることもすでに実証ずみでした。男は騙されなかったとはいえ、女が男に禁断の実を食べるように言った時、食べてしまいました。サタンは驚くほどの子どもを産む潜在能力をもつ人間が、やがてサタンの支配でサタンの命令に従う無数の従順な奴隷の軍勢をつくることができると思ったことでしょう。 しかし、もしこのような考えがサタンの心にあったなら、全世界をあざむく者(黙示録12:9)であっただけではなく、彼自身他のすべてのものよりも最も騙されていたのです。まず、「わたしは、おまえと女との間に、敵意を置く」と神は言われたので、女はサタンと同盟を結ぶことができなくなりました。「あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配するようになる」と言われたのでは、女が夫を支配することもないでしょう。また、神は女に「わたしは、あなたのみごもりの苦しみを増す。あなたは、苦しんで子どもを産まなければならい」と言われたので、妊娠と出産は容易ではなくまたすこやかではないはずです。 勝利はサタンが思ったほどに容易ではないばかりか、最後にサタンは完全に撃退され滅ぼされてしまうのです。「男の種(精子)によらない人(神の受肉降誕クリスマス)が来る。それゆえに、彼はサタンの支配下にはない。彼は唯一の女のすえである。不思議な方法で受胎し、処女が子を産む。おまえ(サタン)は彼を大いに傷つけることはできるが、彼は完全におまえのすべての悪い野望を打ち砕く」と。これは、福音的深い洞察であると思う。 アダムは、この希望の光に期待したのではないだろうか。そして、その先取りのしるしを示されるように、神は、やがての「世の罪を取り除く神の小羊(救い主)」(ヨハネ1:29)の予表として、神自ら獣の命を犠牲にされて彼らのために着物を用意されたのである。これは救いの衣である(ローマ13:14 キリストを着なさい)。 さて、新たな出発をしたアダムとエバにカインとアベルが与えられた。人の子の親として彼らは大きな喜びを得た。もしかしたら二人の内どちらかが約束の子であるのでないかと幻想を抱いていたかもしれない。 しかし、彼らは普通の人であり、それまで以上に宗教的教育に力を入れていたにも拘わらず、兄と弟は約束の子ではなく全く違っていた(4:1-8)。何と両親の願いも空しく兄が弟を殺害するという事件が起こる。アダムとエバの人生最悪の出来事であった。 カインはその罪を問われて追放される(やがてその親族はノアの洪水で死滅してしまう)。だが、4章25節にある「セツ」の誕生は、彼らの大きな慰めと希望を示している。そのセツの子孫がアブラハム、ダビデ、ソロモン、マリヤであり、イエス・キリストが誕生するのである。 取り返しのつかない罪と過ちを犯したエバではあるが、確かに全人類の母として、その尊い使命を果たしたではないだろうか。 誰でも我が子を愛し慈しむものである。尊いかけがえのない命である。それにも拘わらず巷では血肉分けた親子でありながら、悲しい事件が頻発している。それは特別な事ではない。人間の原罪がそれをさせるのである。 それゆえに、母と子を救うのは救い主イエスさまなのである。母の日にあたりそのことをこころに刻みたいと思う。 |
題「母となったエバ」創世記3:15-21,4:25
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