| 2023年度の投資詐欺被害総額は、277.9億円になったと報じられていた。2024年1月から3月には、さらにSNS型投資詐欺事件で、219億円3,000万円の被害があったそうだ。詐欺師たちは、有名な投資家や著名人の名を騙り広く呼びかけ偽情報により無防備な人たちを罠にかけたのである。儲かる話を詐欺師から聞いて、「儲かるならいいか」と楽観的に受けとめ契約してしまう。日頃、お金がないないと言いながら意外と持っており、そういう人たちがそれを元手に財を増やそうとするのである。 騙される人たちの共通点が三つあるそうだ。 ①「自分はひっかからない」と過信している。 ②物事を直感で判断する。 ③大事なことを人に相談する習慣がない。 今の時代甘くうまい話がないと知っておりながら、欲が働いて大失敗をしてしまうのである。 さて、パウロは愛弟子テモテに対して、二通の手紙をもって信者への牧会的配慮や神の働き人の資格や心得、実践的な教えと個人的な励ましを与えている。 この6章では、①健全な言葉(教え)を守ること(3節)。②人間関係をよく保つこと(4節)。③金銭に関する考え方と態度(8-10節)。 お金の問題は信仰生活に関係がないといったことを言う人がいるかもしれないが、実際はそうではなく非常に重要である。お金はそれ自体、善でも悪でもないが、用い方によってどちらにでもなる。 当時、「信心を利得と心得る者」(5節)、「敬虔を利得の手段と考える者」(同 新改訳)がおり、それは偽教師・似非(えせ)の指導者のことであり、彼らは金銭を己の利得を貪る手段としていたのだ。 お金の用い方は、大いに信仰生活と繋がりがあるのだ。 それゆえに、パウロは、テモテにここで特に「信心があって足ることを知るのは、大きな利得である」(6節)。「満ち足りる心(内面の満足感)を伴う敬虔(信仰深く慎ましいさま)こそが、大きな(偉大な)利益(源)を得る道です」(新改訳)。 「わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去っていく。ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした」(7-10節)。 今日、現代起こっている事件により「ある人々は、金銭を愛して持っている財も失ってしまった」と言い換えることもできると思う。私たちは、そのような罠に陥ってはならない。 大事なことは、信仰者が神の霊的なもので満足しているということである。神への信頼が、お金に取って代わってはならないのだ。主イエスが与えてくださった永遠の生命は、「我欲に埋没している人生」を歩んでいる者には決して与えられるものではない。 私たちは、神に望みを置いてすべてのものを与えて楽しませてくださる神を信頼して生きようではないか。金銭では得られない心の満足を主は与えてくださる。「我唯足るを知る」人生である。 これは、本格芋焼酎「吾唯足知」(中国の老子の言葉。仏教にも影響を与えた。それを酒屋が引用して商品名にした)のことではない。哲学の世界のことではなく、現実における「聖書の神を信じることによって、足ることを知る」ことなのだ。 キリスト教史の先人たちは、よき模範を示しているではないか。カトリックの修道士フランチェスコは、貧しさを友として生きた。小鳥たちと会話し主なる神を崇めながら、神の御心として多くの弱き人々を助けた。英国の信仰復興運動の指導者、ジョン・ウェスレーは、霊的に国を救ったのみならず、社会的救済の御業にも貢献した。そして、当時の教会に対して、多くを儲けて、貯えて、多くを献げよと教えたといわれている。 肝要なことは、信仰者にとって金銭感覚がきっちりと聖別されていることである。このような生き方をする者は、心の目が天に向いている人であろう。さあ、天国のゴールを目指して「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」(ヘブル12:2)。ハレルヤ。 |
題「霊的な満足」第1テモテ6:1-10
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