題「愛の保証」詩篇27:1-3

 能登半島地震が発生から1年が経過した。多くの被災者の方々が、マスコミの取材に答えている。輪島市のAさん(59歳)は、大規模な土砂崩れに巻き込まれたが助かった。だが弟さんが行方不明になっていたが、昨年11月土砂の中から遺体が見つかった。関係者の捜索活動に感謝された。

 同市の大工Bさん(63歳)は、去年多くの人が亡くなったので「おめでとう」とは言いにくい状況にあるが、新しい年を迎えることができ少しほっとしている、と現在の気持ちを述べた。

 妻と娘の二人を亡くしたCさん(56歳)は、悲しみを抱えながら生きていくしかないと吐露しておられた。 ある方は、私たちは、前向きに生きていくことが難しい、と被災者としての本音を隠さなかった。かつての阪神淡路大震災(30年目)、東日本大震災(14年目)の被災者も時間がどんなに経過してもなおも心の傷癒しがたく苦悩しておられる方々は多い。

 今日、自然界のもたらす地震、豪雨などの未曾有の被害に遭われた方々だけではなく、生きることに対して恐れをもっておられる人々がたくさんおられる。 今や私たちは恐れに満たされた国民になりつつあるといって過言ではないのではないかと思われる。

  しかし、この世界に何が起ころうとも、神は聖書によって幾世紀にも亘って、ご自分を愛する人々の心に勇気をもたらしてこられたのではないか。神の言は、人間の心に恐れを起こすかもしれないあらゆる種類のトラブルや問題における神の助けと慰めの保証を与えておられることを知る。

  「主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれを恐れよう」
                                                   (1節)。

 新改訳「主は私の光 私の救い。だれを私は恐れよう。主は私のいのちの砦。だれを私は怖がろう」。

 共同訳「主はわが光、わが救い。私は誰を恐れよう。主はわが命の砦。私は誰におおのくことがあろう」。

 旧約聖書の中で、主なる神が「わたしの光」と言われている箇所は、ここだけである。その他に「イスラエルの光」(イザヤ10:17)、「とこしえにあなたの光」(イザヤ60:19,20)の表現があるが、それぞれが神と人との関係の中で語られている御言である。
 これらの御言は、神は、「救い」であり「光」であるので、救いの根源者として、これまでも救いの大いなる御業をなされただけではなく、今も歴史における神の民に救いの御業をなさることを指し示している。

 「だれを恐れよう」とは、新約聖書のローマ8:31の「もし、神の味方なら、だれがわたしたちに敵し得ようか」と同じ響きがある。神は、ご自身に信頼を置く人々を救い出そうとしておられることを覚えたい。私たちクリスチャンは、このことを全く確信して聖書を読むことができるのではないか。

  ①「神の約束」。聖書の神は約束の神であり、神は忠実に約束したことを守ってくださる。ここでの約束は信頼に値するということだ。かつて多くの預言の御言が成就してきたように神の約束は必ず果されるのである。この信仰があるならば、恐れを吹き払うことができる。

  ②「神の希望」。「希望は失望に終わることはない」(ローマ5:5)とあるが、これは恥じることなく、欺かれることなしという意味である。 今も昔も人間には、希望がどうしても必要である。私たちにとって主ご自身が希望そのものである。

 ③「神の喜び」。「神はわたしを笑わせてくださった」(創世記21:6)とは、不妊の女アブラハムの妻サラの言葉である。約束の子イサクが生まれる一年前、受肉前の主と二人の御使いの訪問を受けた時、主は、アブラハムに「来年の春、あなたの妻サラには男の子が生まれるでしょう」と言われた。天幕の入口にいたサラは、隠れ聞いて心の中で「笑って(冷笑)言った。『わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえましょうか』」と。しかし、主は「主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、サラには男の子が生まれるでしょう」とダメ押しする。やがてその通りになったのである。サラは、冷笑の笑いから大いなる喜びの笑いに変えられてしまった。この神の喜びは私たちに落胆なきことを示している。

 兄弟姉妹、私たちの人生において何があったとしても、神は愛の保証を与えてくださっている。神の不変の愛を信じようではないか。

 1970年、15歳の頃であろうか。その当時の中高生にとってラジオで流れるポップスが大人気であった。カーペンターズの「遥かなる影」がヒットしていた。リチャード&カレン兄妹のデュオである。カレンの声の美しさと二人のハーモニーに虜にされたことを覚えている。よく知られているヒット曲は、「涙の乗車券」「イエスタディ・ワンス・モア」「トップ・オブ・ザ・ワールド」「青春の輝き」などである。
 このスーパースターのカレンが、1983年に死亡した。満32歳の若さであった。今生きていたら75歳だ。死因は急性心不全。晩年は、過食症と摂食障害の症状が繰り返され、最終的には長期の闘病生活が心臓に負担をかけており、注射による栄養注入治療で急激に体重を戻したことが致命的になったと見られているようである。

 なぜカレン・カーペンターは、死ななければならなかったのか。彼女は、少女時代食べることも大好きな、友人の多い天真爛漫なスポーツ選手であった。両親は、熱心なメソジスト派のクリスチャンで、兄弟二人も洗礼を受けていた。音楽の才能が、徐々に発揮されるようになったようである。しかし、母親は兄の才能を認めても妹については、反対であった。母親は、女は主婦としての能力があって一人前、という考え方の持ち主で、娘には平凡な人生を送らせたかったようである。

 しかし、そのような親の願いも空しく、やがて兄妹ともに一躍有名になりスーパースターの名をほしいままにする。ところが、頂点に達してから過労でカレンの体調が徐々におかしくなり、人々に喜ばれる「望まれる自分になるためのストレス」は相当なものがあったようである。発散されることのないストレス。太り過ぎを過剰なまで恐れる脂肪恐怖症。結婚するも多忙での夫婦のすれ違い。それに財産問題なども加わり、家庭には平安なく、安らぎなく、過食症と摂食障害が繰り返されて行く。

 治療をするがそんな娘を母親は、あるがまま愛することはなかった。亡くなる二年前、カレンはひさしぶりに実家に帰った時、長年積み重ねて受けてきた母親からのマイナスのメッセージに耐えかねて、思わず「私のママになってよ」と言ったという。この母親は、母であって母ではなかったのである。その言葉は母親に響いたのだろうか。

 そして、カレンは回復することなく亡くなってしまったのだ。残念でならない。あの素晴らしい歌声をもはや聴くことはできないのである。

 このカーペンター家で起こった出来事は、クリスチャンホームの悲劇であると思っている。この家庭に神はおられなかったのであろうか。この家庭に聖書はなかったのであろうか。答えは否である。けれども、この家の人々は、あまりにも自分たちの考えや価値観、この世の常識やニーズに異常なほどに反応していったのではないだろうか。神よりも聖書よりも人気と金を優先させた。この家の両親は、かけがえのない娘を失ってみてはじめて自分たちの選択してきたことが間違っていたことに気づいたのかもしれない。でも、それは「too late」トゥ レイト。遅すぎる!

 どうか、私たちにおいては、神の愛の保証を何よりも大切にしながら、与えられた人生をバイブル・ラインの信仰によって歩んでいこうではないか。
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