| 新年の第三の礼拝メッセージをお伝えしたい。 「ピグマリオン効果」というのがある。それは、人が教師や上司など他者から期待されると、その期待に応えようとして、実際に能力や行動が向上する心理現象のことを意味している。 ギリシャ神話に由来し、教師期待効果とも呼ばれている。例をあげると、教育現場で教師が、「この生徒は成績が伸びる」期待すると、生徒の成績が実際に向上したり、会社で上司が部下に、「君ならできる」と励ましを与えると部下は自信を持って仕事に取組み良い結果を出すといったようなことである。 かつて英国の文豪バーナード・ショーは、「人間は他者からの期待によって生きる者である」と言っている。早稲田大学の創設者大隈重信は、類似の言葉として、「希望そのものは、人間の夢である」と語っている。「希望は目覚めている人間の夢である」とは、哲学者アリストテレスの言葉である。期待や希望は、単なる非現実的な夢ではなく、現実を生きる上で意識的に持つべき目標や動力であることを教えられる。 復活の主イエスは、今朝の箇所で、ペテロに対して「ヨハネの子シモンよ」(15節)と呼びかけておられる。これは、ペテロに向けて語られた期待の呼びかけの言葉である。ペテロにとって、それは初代教会の働きにおいて希望となり実現可能な夢となった。 さて、復活の主は、何度も弟子たちの前に姿を現しておられた(20:19-23,26-29,マタイ28:9-10,マルコ16:12,14,ルカ24:13-43)。しかしなから、彼らの信仰は曖昧であった。その証拠に、21章の前半の箇所でペテロたちが元のように漁師の仕事に戻っていたことが記されている。そこに出てくる弟子たちの様子を見ると、復活の主の確信と宣教の使命などはなかった。人生の目的と目標を失ってしまったような虚しさが見受けられる。 そのようなペテロに向かって、昔の名前で呼ばれたことは、彼がまだ救われていなかった頃のことを思い出したのではないだろうか。それは、彼自身の出直しと再生の機会ともなった。「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たち以上に、わたしを愛するか」(15節)と。「わたしを愛するか」と同じ言葉を語られた主の御言(16,17節)は、あの受難週において、主イエスが敵に渡された夜のことを振り返らせたに違いない。 その時、裏切者イスカリオテのユダの冷たい接吻を合図に、主イエスは、十字架刑のために敵に捕縛され銀貨30枚で売り渡されてしまった。数時間前、主は過ぎ越しの食事の際にペテロと言葉を交わされた。 ペテロは、「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」と言うと、主は、「ペテロよ、あなたに言っておく。きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないというだろう」(ルカ22:33,34節)と返された。 まさにその数時間後、主が言われたように、ペテロは三回イエスを拒否したのである。 だが、復活の主はここで信仰的に躓き失敗してしまったペテロをお責めになるのではなく、三度「わたしを愛するか」と問うことによって、再出発をさせようとされたのだ。 主の問いかけに対してペテロは自分がどんなに深く主イエスを愛しているかを言い表した。すると、イエスはこれも三度「わたしの羊を養いなさい」(15,16,17節)と命じられた。 この言葉の意味するところは、主がご自分が地上を去った後のキリストの教会を、ペテロに託されたのである。主イエスの期待は愛の上に成立した。 イエスは、ご自身に背き、拒絶し、見捨てたペテロを愛し赦した。そして、彼の再起に期待されたのである。 イエスは、「シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:31,32)と祈っておられたことに感動する。 主は、ペテロの躓くことをもすでに知っておられながら、その回復を願い祈り続けてくださったお方なのである。新年にあたり主イエスは、このように私たちにも期待をなさることを覚えたい。 中世ローマ帝国時代の光と尊敬されていたアウグスチヌス(AD354年-430年 司教、神学者、哲学者、説教者、教父の一人)の母モニカのことを思い出す。息子は少年期から、まさに放蕩息子で、異教のマニ教(ペルシャ人のマニが起こしたゾロアスター教、キリスト教、仏教の要素を融合させた折衷宗教《シンクレティズム》。現代では幸福の科学を思い起こさせる)に傾倒し、クリスチャンの母親の忌み嫌うことばかりしていた。 しかし、母は、アンブロシウス司教の「このような涙の子は決して滅びない」という言葉に励まされ、我が子のことを見捨てず30年間とりなしの祈り(自分を犠牲にして他者のために祈ること)を続けた。母モニカは、息子アウグスチヌスのことを愛し、赦し、その人生の向こう側に期待し希望を持って忍耐の限りを尽くし祈った結果、それはついに適えられたのである。ハレルヤ!!! 主イエスは、私たちのためにそのように関わってくださると共に、私たちも誰かのためにそのように祈る者とされたい。そのために祝福を祈りたい。 |
題「愛と期待」ヨハネ21:15-17
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