「日本人は聖書の神を信じることはできないのか」

 NHK大河ドラマがあるが、個人的には幕末から明治にかけてのドラマが一番好きである。なぜかというと、その時代に生きた若者の冒険心と困難な時代にも拘わらず命がけで日本のために労し働き駆け抜けていったリーダーたちの気概に感動するからである。

 さて、1876年(明治9年)札幌農学校(現・北海道大学)が開校された。初代教頭は、同学校で専門の植物学と自然科学一般を英語で教えた、ウィリアム・スミス・クラーク博士である。彼が学生たちに、「少年よ大志を抱け。しかし、お金を求める大志であってはならない。利己心を求める大志であってはならない。名声という束の間のものを求める大志であってはならない。人間としてあるべき、すべてのものを実現しようとする大いなる大志を抱け。」と語ったと言われている。

 有名な言葉であるが、一部切り取られてクラーク先生の意図したことが充分伝えられないことが多いと思われる。このクラーク師が日本に来る前、1853年(嘉永6年)、黒船のペリー来朝以来、幕末から明治維新にかけて日本の少年、青年たちが日本を思いその情熱を燃やした。その年、勝海舟30歳、西郷隆盛26歳、吉田松陰24歳、坂本龍馬18歳、新島襄10歳。彼らは「我は日本のために何を成すべきか」と問うた人たちである。

 まさに若者の時代の到来を意味していたのではないだろうか。この中でも勝海舟はあまりにもよく知られているが、その晩年にイエス・キリストを救い主として信仰告白なし、クリスチャンになったことは私たちに知らされていなかった。勝は19歳の頃、世界地図を初めて見て世界を知りたいと熱望した。そこでオランダ語を勉強した。必須の書である辞書を手に入れ、それを自分で二冊分書き写し、驚くように語学を習得してしまう。それ以来、欧州の歴史、文化、戦争記録、近代科学技術、その時代の世界ニュースなどをよく調べていくことになる。それがあの難しい時代の日本を救うことなることを確信したからである。

 彼に影響を与えたクリスチャンは、オランダ人のカッテン・ディーケ(或臨丸かんりんまる)を日本に運んだ人物)、米国人の静岡の学問所にて教師を務めていたクラーク(札幌のクラーク博士とは別人)、米国人で商業講習所の教師として招請した人物、ホイットニー。彼は後に伝道に精励するようになる。そして、その妻アンナである。

 これらの人々の祈りと関わりによって、勝は徐々に神(聖書の創造主のこと)に心を開くことになり、アンナが日本の地で病死した時、「私はもし信仰を持つならば、アンナさんの信じている神以外にない」と語っている。そして、彼が病床につき死にゆく時、アンナの息子、医師として日本に来ていたウィルスに看取られて逝った。この時、最後に勝が残した言葉がある。「私はキリストによって救われた」と。この言葉が英文で記録されているのである。噂話ではない。

 さあ、日本人の愛する皆さん。勝麟太郎を嫌いな人は、まずいないのではないかと思われるほどに魅力的な人であった。また、日本を背負っていたと言っても言い過ぎではないだろう。あの時代における「ザ・ニッポンジン」であったのだ。同じあの時代に生きていった人物として、新島八重、西郷隆盛がいる。彼らもそれぞれの人生において聖書と出会い、キリストを信じた。日本人である彼らがキリストに心とらえられ信仰を持ったのである。この事実は、私たち今を生きる日本人も聖書の神を信じることは特別なことではなく普通にできると考えてもよいのではないか。

 ある人たちは、「日本には、聖書はむいていない。日本人にはキリスト教は馴染まない。だから信者の人数も増えないんだ。私たちは神道や仏教でいいんだ。」などと憚らずおっしゃる方々がおられるのであるが、果たしてそうなのであろうか。日本人も創造主によって造られている存在である。私たち日本人も本来あるべき、神と我との関係に立ち戻るために、神の言葉である聖書を読んでみようではないか。今日の若者たちのためにもそこに自己存在証明(自分が何者かがわかり)があり、人生の目的と生きがい(何のために生まれ、何のために生きていくのか)をも見出すことができるのである。

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