| 「平和」とは何か。広辞苑によると、「戦争や紛争がなく、世の中が穏やかな状態にあること」となっている。別に、世界平和は、地球上のすべての人々と国家の内部およびそれらの間での理想的な平和状態の概念であるといえる。その平和の実現については、文化、宗教、哲学、組織によってさまざまな概念がある。 毎年、日本では8月6日(広島)、9日(長崎)における米国による原爆投下した日を記念している。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ。原爆による広島と長崎の悲劇を二度と繰り返すな、という意味で原水爆禁止運動のスローガンになっている。この月はまさに日本人にとって平和の二文字が心に深く刻まれる大切な時期であるといえよう。 しかし、今回の平和主日礼拝では、趣を変えて、私たち一人ひとりの内面の平和について考えてみたい。そのことを、誰でも日々担っている生とともにある死との関わりで思いめぐらしたいのである。 私たちは、ここ数年近くにおられる方々を先に天に送った。2022年1月、K姉(97歳)、9月、A師(70歳)、10月、M姉(77歳)、11月、H兄(54歳)。4人のそれぞれのご召天がみな突然であられたことは、私たちにとって大きな衝撃となった。さらに今年になって「活水の群」の教職であったT師が、3月に21年間労された地域の教会を隠退され後、一か月と10日で召された。 これらの方々との死別によって思わされていることは、人はいつそれぞれの人生が終わるのかわからないということである。ある方は、神はその人の人生の使命が終わるならば召され、なお使命があるならば、神はその人をどんなことがあっても生かされると言っておられたが、まさにそのとおりであろうと思う。 さて、私たちは、沖縄のオリブ山病院理事長、読谷バプテスト伝道所の牧師、田頭真一先生の著書「死という人生の贈り物」をいただきその豊かな内容に感動し教えられ恵まれた。この本はとても重要なテーマをもって書かれている。これは、誰にでも訪れる死を受け止めて、安らかに眠るための備えの書としてまとめられていた。田頭先生は、今日医学の進歩によって全く新しいがん治療が行われるようになり、がんが治る可能性や、5年生存率も高くなってきた反面、以前のような余命宣告により緩和ケアに移行するという、治療期間と終末期の明確な区切り、境界線を失うことになっているといわれる。 現在の日本の終末期医療は、かつてホスピス(英国発)として宗教的ターミナルケアを行ってきた病院が、宗教色を取り除いて「緩和ケア」(心身のつらさをコントロールしてなるべく普段の生活をする)と名称を変え、同時に果たすべき役割の範囲も変えてしまったと指摘しておられる。折角新薬のおかげで、患者が治ることを夢見ながら、大変な治療に集中するのではあるが、結局治ることなく治療が終わってしまうケイスが多いという。 つまり、死を受容することなく、自らの人生を振り返ることなく、死ぬ備えなく死んでいくのである。当然、看取る側にも弊害が生じるのはあり得ることである。愛する家族とお別れができないということなのであろう。 日本で初めてホスピスケア(生活の質を高め最後まで患者の希望どおりに生きていく全人的ケアのこと)がなされるようになったのは、1984年、大阪淀川キリスト教病院からである。柏木哲夫医師が使命感をもってスタートさせ、2500人ほどの方々を看取られた。柏木氏が現場での経験から教えられたことがあると聞く。それは、人は死ぬ前に三つのものと和解しなければならないということである。 ①自分自身との和解。 人は本能的に死が近いことを感じるようである。その時、それまで生きてきた自分というものをどうしても、認めることができないで、今、死んでも死にきれない。もっと幸せになって死にたい、と嘆いて自分と和解できない人々がとても多いとのこと。現実をありのまま受け入れ、「本当に幸せでした」と言える人は、やはり神への信仰がある人ではないだろうか。仕様がないということではなく、いやいやながらではなく、愛と真実の神によって自己受容するのである。 ②家族との和解。 関係が整えられること。家族の中で親子関係や夫婦関係がよくないケイスがある。問題を残したまま死に臨む人は実に悲しい。田頭氏の本の中でも遺産の問題が出てくるが、やるせないことである。だが、たといそれまで問題があっても、互いに許し合い、受け入れ合って、和解を成立させて亡くなられる人の死は本人と周辺の人々に安堵感を与えることができる。 ③神との和解。人は、創造者の元に帰るためには、キリスト信仰がどうしても必要になる。神と仲直りすることである。神を否定し拒絶してきた人、神に背を向けて生きてきた人の臨終の床には希望がない。その人にとって、死は呪いであり敵そのものである。しかし、創造主と和解して亡くなられる人にとって死は慰めであり希望である。 「平和(エイレーネー、一緒になる。協力する)をつくり出す(維持する)人たちはさいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう」とあるが、平和の心とは、和解でもある。自分と和解し、家族と和解し、神と和解して、何の心残りなく、平安をもってクオリティ・ライフの人生を全うして天に召されていくのである。 彼らこそ神の子と呼ばれるにふさわしい存在であろう。それだから、主は「なんとさいわいな人たちでしょう」と言われたのだ。さあ私たちもいつかの日のために備えようではないか。 |
題「平和をつくり出す人」マタイ5:9
目次
