題「柘植師に学ぶ①」使徒行伝1:1-14

キリスト伝道会「活水の群」が基督伝道隊として設立されてより、今年で100周年となり記念事業を行っている。すでに五月の連合聖会で対面の記念集会を開催することができ感謝している。
 当教会としては、長年に亘り「活水の群」との交わりに二代目牧師福澤友男師を通して与ってきたが、正式に新たに設立した伝道団体となってから2000年4月に加入した。

 さて、多くの当教会の信徒にとっては、柘植師はその名を聞くことはあっても過去の人であり、あまり自分自身の信仰生活に関わりがないように思われているのではないかと感じている。そこでこの月は教会創立記念礼拝も予定されているので、これを機に柘植不知人師の恵みの歴史と信仰に着目して学ぶことにした。柘植師は、広島に1873年医師の家庭に生まれた。150年前。「医は仁術なり」と言われるように、彼の父親はお金を求めず貧しい人々を助け救った。この点において柘植家は貧乏のためにたいへんご苦労された。柘植師も医師の道を志すが父親が病のために早く亡くなり、経済的な理由で医師になることを断念した。まさに重荷を負って厳しい人生を歩んでいた1913年、40歳の頃、神戸市の湊川新開地の天幕伝道にてパゼット・ウイルクス師(英国宣教師・オックスフォード大学出身)の流暢な日本語でのただ一度だけの説教を聞いて救いを受けた。同年11月に受洗。B.Fバックストン師(日本伝道隊主幹・英国国教会宣教師・ケンブリッジ大学出身)の霊的な影響を受け、JEB(日本伝道隊)の聖書学校(現関西聖書神学校)に学び訓練を受けた。1915年10月、聖霊の満たしを体験。全き献身の表明をされる。

 それ以来、柘植師は聖霊に満たされてJEBの教職として各地で伝道のために用いられていく。海外伝道にも着手。1919年、11月の飯田でのリバイバル祈祷会(柘植師、小原十三司師(ホーリネス教会)、秋山由五郎師(日本伝道隊)の三者)は、天が破れて(神と我の妨げられるものがなくなったことの意)翌年の全国のリバイバルの発火点となったと言われている。1922年8月、神の御心として確信し、自ら独自の道を歩むためにJEBと決別。1923年1月、基督伝道隊設立。その後、柘植師の働きにより召される1927年3月までの四年間で22の自給伝道館が設けられた。記録によると柘植師の集会で病が癒された者6万人。救われた者12万人が起こされたとある。柘植師の伝道は、明確な正統的プロテスタントの信仰による福音宣教と神癒であった。それは頭だけの精神的救いだけではなく、その時代の多くの人々の生活のためにその必要を満たした働きをされたのである。神癒といっても、決して、病気の癒しを売り物に軽々しく行ったのではない。柘植師は、病だけを求めて来る人々には丁寧にお断りしたそうである。神・罪・悔い改め・キリスト信仰による救い。聖書のメッセージそのものを語り人々を純粋なキリスト信仰に導かれたのである。そして、彼はそのように神に大きく用いられながら、今風のキリスト教異端やカルトの教祖のようにはならなかった。どこまでも神の前に謙虚に、そして生活は質素に過ごされていた。そのことは、柘植師の弟子たちが証することである。

  柘植師は、その働きの秘訣である「聖霊を求める祈り」について語っておられる。詳細は、先週の説教要旨を参考にしていただきたい。
 ①命令であり約束であること。
 ②信じて祈ること。
 ③主の証人となることを決心して献身すること。
 そこで宣教のために派遣されることができる。重要なことは、そのために充分な準備が必要であると示しておられる。

 先延ばしの不徹底の態度や世の喜びや楽しみを一方で求めて奉仕するための力を求める二足の草鞋を履くような態度だと聖霊に満たされることはない、と厳かに満たされない理由をあげておられる。主は殉教者を欲しておられる。全き信仰、全き献身が欠けていると聖霊に満たされることはない。しかし、それは、決して強制ではなく自由意志を主は重んじられる。自ら進み出ることを主は待たれる。もし自発的に我が身をささげるならば、それは殉教者となることを意味しているが、それはいたずらに死ぬのではない。「一粒の麦となって地に落ちて死に」復活するのである。

 使徒パウロは、耐えられないほどの圧迫を受け生きる望みさえ無くなったとき、自分自身を頼みとしないで、「死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った」のである。そこに彼の強さがある。世の人々は死より恐ろしいものはないが、信者には死(肉体の死と自我の死との違いに気を付けよう)の先には復活がある。それが希望である。

 聖霊降臨待望祈り会に120名ほどの人たちが、「心を合わせて、ひたすら祈りをしていた」(1:4)。そこに参加者の自我の死があった。もはやそこにかつての弟子たちの競い合い、誰が一番偉いか、誰が一番主への背きの罪が軽いかなどを比べる者たちではなかった。皆がへりくだって神の前に跪き、お互いを赦し合い、受け入れあっていた。
 皆が全員聖霊降臨待望のために一人のように祈っていたのだ。今日の教会でも合同一致の祈祷会をすることはあろうが、「心を合わせる」祈りをすることが難しいことが指摘されている。ここでの祈りの一団は、昇天の主を仰いで天に見送ったが、そのように皆が上を見上げて祈っていた(詩篇121篇)。

 彼らは、下向きの信仰ではなく、泣き言を言うのではなく、誰が何と言っても上を仰いで祈る。主は弟子たちに、はっきり上を見せて、上から約束の力を賜るからと語り、彼らが下を向かないで上を見ているうちに天に挙げられた。もしあの時主が見えなかったならば、とても待ち望んで祈らなかったのではないかと言われた。

 柘植師は、結論として、私たちも、上を見上げて主の約束を信じて待ち望む祈りに、主は俄然お応えくださることを信じよう、と言われている。ペンテコステの祈りはいつでも模範となる。
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