| 子どもの頃、民放で「パパは何でも知っている」という、ロバート・ヤング主演の人気ホームドラマがあった。中流家庭のアンダーソン一家。理想的な父親、主婦として夫を支え3人の子どもたちの面倒をよくみる母親。日常に起こるいろいろな騒動を賢明なパパが解決する。そんなお話であった。この父親は、品行方正、学術優秀、容姿端麗、思想堅固。立派なパパとして描かれていて当時の米国の最も理想とする家庭モデルであったと思われる。 あれから60年、確かにそのような家庭が存在するかもしれないが、今日はその限りではないだろう。日本とて同じではないか。父親の権威を重んじて「地震・雷・火事・親父」と言われていた時代があった。この世で特に怖いものを順に並べた言葉があるが、それも今日父親の権威が失墜して意味不明のように捉えられているのかもしれない。 さて、今朝は父の日礼拝としてお父様方を祝福し感謝する時である。最初に、あなたは家庭を持って以来どのような父親であろうと努めてこられたのだろうか。そして、その願い通りの父親になったであろうか。ある程度目標に達して安堵しておられる方もいらっしゃるかもしれない。また実に理想を描いた通りになった方もおられるかもしれない。しかし、そう言えない場合もあると思う。 そこで、今回、聖書人物のヤコブの人生にスポットを当てて彼に学びたい。彼は決して米国の理想の父親アンダーソン家のお父さんのようではなかった。しかし、神を信じることにより祝福された父親として、また家長として用いられていったのである。 ご存じのように、ヤコブはイスラエルの信仰の父アブラハムの孫であった。族長時代の父の一人である。本来ならば双生児の弟として生を受けたので、兄エサウが後継者になるべきであったが、不思議な神の選びによってヤコブがアブラハム契約を継承する者となった。彼の人となりは、決して芳しいものではなかった。 彼は野心家、策略家、目的のためには手段を選ばない横着な人物であった。「押しのける者」という意味のあるヤコブの名前のように生きたしたたかな者であった。一見この世的には、成功するタイプであったかもしれない。 ①兄エサウの空腹に乗じてあつもの一杯で長子の権を奪った(創世記25:29-34)。ヤコブは、彼らにとってかけがえのない長子の分け前と二倍の分の名誉の特権を兄から奪い取ったのである。 ②目がかすんでしまった年老いた父親を騙して、アブラハムの祝福を横領した(創世記27:41)。ヤコブは、母リベカと共謀して年をとって目が弱くなっているのにつけこんで、うまいものを食べさせ、また兄エサウに変装して、これも重要なアブラハム契約(創世記12:3)を騙しとってしまうのである。 ③兄エサウに命を狙われるようになったヤコブはおじラバンの元に逃げた。そして、おじのところに身を寄せながら、その当時の財産であった自分の家畜を殖やすやり方は巧みで狡猾であった(創世記30:25-43)。つまり、ラバンはヤコブのゆえに財産を多く持つようになったのであるが、ヤコブはしたたかにおじを出し抜くのである。このようにヤコブの生来の性質はいかがわしい者であった。 しかしながら、そのような人物が驚くような姿変わりをするのである。人はどのような者でも神の恵みがあるならばやり直しができるということである。 ①救いを得た(創世記28:10-22)。兄エサウの怒りと恨みを買ったヤコブは我が身を守るためにおじラバンを頼り逃亡するが、荒野での野宿体験により、悔い改めと神の赦しと救いを与えられた。 ②霊的な成長を得た(創世記31:38-42,32:22-32)。ラバンの元で20年間過ごすが、その間彼はおじに騙されて働かせられ十度も約束を変えられてしまう。それは自分の愚行により家族を騙した体験を思い出されることになった。おじと別れ故郷に帰ろうとするものの兄が400人を率いて彼に向ってくることを知り大いに恐れた(創世記32:6-21)。彼は兄をなだめようと策を講じるが、なお心の不安は拭えない。いよいよ絶対絶命となって、神に祈らずにはいられなくなった。彼の古き人(自我性)と向き合い祈りの闘いをすることになる(創世記32:22-32)。 夜を徹してひとりの人とすもうをとる姿とは、神の前に、自己中心、策略、企てが全く砕かれるための内面の葛藤そのものであった。そこで彼は自我を全く神に明け渡して神に従っていく人生に切り替えられたのである。この人生のターニングポイントによりヤコブは、自己中心から神中心の神に生かされ、神に養われる人となったのだ。ここに至り、初めてヤコブ(押しのける者)からイスラエル(神とともに支配する者・神の皇太子)と変えられたのである。 ③神に信仰的な取り扱いを受ける(詩篇142:7「豊かにあしらわれる」創世記46:3,4,47:27-28)。ヤコブは、生涯を貫いて罪の罪たることを学び、その苦さを味わうことになった。それは、決して罰でも裁きでもなく彼がさらに霊的に整えられるためであった。年老いた父となったヤコブは、十人の息子たちにヨセフが死んだとして欺かれる。「神の慈愛と峻厳を見よ」(ロマ11:22) ④彼の人生の総括。牧者に導かれ生かされた(創世記48:15,16,49:24)。ヤコブは、父親としてなおも弱さを担いながら、患難を受けつつ歩んでいった。彼は嵐にもまれながら、磯馴れ松のように曲がりくねった人生であったが、全うされてみれば神により整えられた器となっていた。最後的には、彼はその子ら12人を集めて祝福するのである。 今日、私たちも、ヤコブのように足りない、欠けの多い、完全な者ではない父親であるかもしれないが、神によって赦され、救われ、訓練としての試練を受けながらも忍耐して、信仰に立ち続けて、良いも悪いもすべてのことを働かせて益と変えてくださるお方を人生の羊飼いとして信頼して歩んでいこうではないか。「お父さん、ガンバッテ!」、神の助けと導きによって・・・。 |
題「父の物語」創世記48:15,16
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