| 「聖書の奇蹟物語は信じられない。求道するのに戸惑ってしまう」と言われる方が時々おられる。ある神学校では、そういう人たちを配慮するためなのか、それともその神学校が寄って立つ聖書神学、聖書解釈の理屈からそう教えているのかはしらないが、神の奇蹟は聖書の時代で終わってしまったので、現代では奇蹟はないと主張しているのだそうだ。「昔はあったけれども今はない」というのである。 しかしながら、私たちの「活水の群」は、2023年で創立100周年を迎えたが、創設者の柘植不知人師は、伝道のために神の賜物として与えられた「神癒」(しんゆ)を用いた。つまり病のゆえに苦しんでいる求道の思いがある患者たちのために癒しを祈られたのである。すると、聖書に記されているように、現実として病める人たちが次から次と癒されたのである。但し、これは日本でよく耳にする新興宗教の類ではない。柘植師は、常にイエス・キリストの十字架の死と復活による贖いと救いを強調された。真摯な態度で真理を求める方々に限定して癒しのために祈られたのである。 大正13年、14年の飯田・上下伊那郡での聖会では、先天性右足間接脱臼の人が癒され、また6年間寝たきりの人も癒された。結核、肋膜炎、子宮癌などの不治の病も癒されてしまった。 ある意味でこのヒーリング・ミニストリーは、全国に及ぶことになる。京都伝道でも神癒が著しく現わされたのだが、クリスチャンドクターの故佐伯理一郎医学博士は、様々な難しい病気が癒されている様を目撃されこのように当時のことを記録している。 「私は46年間医者をしてきた。そしてたくさんの癌患者に接してきたが、これまでこのような経験はなく、いろいろな医学書を読んでも似た報告はなかった。知り合いの内科、外科、婦人科の大家にその話をしても、誰からも明解な返答を得られなかった。次男は京都帝国大学大学院の病理学教室で5年間、癌腫、肉腫などの悪性種癌について研究していたが、いまだかつてこんな実例は見たことがないと述べていた」(1926年、大正15年10月記、医師から見た神癒 京都佐伯病院院長 佐伯理一郎氏)と。 これは、科学では立証できない奇蹟が起こったとしか考えられないということだと思う。 神は今でも必要ならば奇蹟の御業を行われる可能性が大いにあるということではないだろうか。 さて、柘植師のライフメッセージは、「人生四大問題の解決」であった。「人生には、数々の問題があるが、大きく分けると、生活、病気、罪、死の四大問題である。人々は、みなこの解決を熱心に求めてきたが、徹底的な解決を与えたものはなかった。ただ、万民の救い主イエス・キリストによる解決だけが完全であり、すみやかである」と信じるところを宣べ伝えておられる。この人生の問題の解決については、今も昔も時代に関係なくすべての人々が願っていることではないだろうか。 さて、マルコ5章21節から43節までに二人の人にもたらされた奇蹟が記されている。長血の女の癒しと会堂司であるヤイロの幼い娘の生き返りである。神学生の頃、お世話になったことのある医学博士故菱川侃一牧師によると、長血の女は、子宮筋腫であったのだろうと言われていた。彼女は、12年間この病に苦しみ希望が持てない状態にあった(25,26節)。また彼女は、婦人の病のゆえに、当時の社会の人々に汚れた者と思われ隔離生活を強いられていた。当然、社会的に交わりを拒否され、寂しい生活をしていたに違いない。 彼女は、こっそりイエスに近づくことしかできなかった。加えて、26節にあるように治療のために「持ち物を費やしてしまった」。経済的にも困窮していたのである。一人の人が病気になるということは、二重、三重に苦しみが覆いかぶさることを教えられる。 しかし、彼女は精も根も尽き果てるも、最後の望みとして救いのためにイエスに近づいていった。 「せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていた」(28節)とある。これは、彼女が癒しを信じて主の着物に触れたことを意味している。そして、その生きた信仰が働き女は神癒に与ることができたのだ。 「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」(34節)。 よく通院しておられる方々が、医師の診察が終わって医師や看護師が別れ際にやさしく語りかける言葉でなんともいえない慰めを受けると聞く。もし、彼らが思いやりの言葉も何にも言わないで、「はい、次の方!」と言われてしまうことを考えると、雲泥の差である。しかし、ここで主イエスが女に語られた御言はそのレベルではない。それは人間存在の深い部分に染みわたる究極の言葉である。何と慰めと希望に溢れる主の御言であろうか。私たちも感動する。 また29節から33節までの癒しの経緯が興味深い。癒された女は、皆の前で癒され、救われた証しをすることができた。それは、彼女の社会復帰を容易にするものであったと思われる。 こっそりだとそういうことにはならなかったのではないだろうか。女にとって最も必要なことは、平穏な日常を取り戻すことであった。その後、女は人生四大問題の一つひとつに解決を得て新しい人生を歩むようになったと信じる。 最後に、35節からの記事は、ヤイロの娘の死と生き返りの奇蹟であるが、ヤイロから見るならば、長血の女の出現は、娘のことを思う時、恵みの横取りのように見えたことでろう。5章22節以下のところを読むとよくわかる。会堂司であるヤイロは、すべてのプライドを捨てて、ナザレのイエスの前にひれ伏して、かけがえのない娘の病からの癒しを懇願した。「しきりに願って言った。『わたしの幼い娘が死にかかっています。どうぞ、その子がなおって助かりますように、おいでになって、手をおいてやってください』。そこで、イエスは彼と一緒に出かけられた。大ぜいの群衆もイエスに押し迫りながら、ついて行った」とある。ヤイロは、すでにイエスの同意を得て現地に向かっていたのである。それは一刻も早くという父親の心からなる要請に応えてのことである。 ところが、その途中に、長血の女が登場して先に主から癒しを引き出してしまった。そのことによって進みゆく主の足が留められてしまったといえないこともない。「イエスが、まだ話しておられるうちに、会堂司の家の人々がきて言った、『あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすには及びますまい』(35節)とある。この時、父親ヤイロにとって娘に用意されていた良きものを長血の女に取り去られたように思えたのではないだろうか。 しかし、イエスは人々の語る言葉など聞き流して、ヤイロと約束したように娘の家に向かうのだ。「恐れることはない。ただ信じなさい」。主は、ペテロとヤコブとヨハネを同行させ、家に着くと人々は娘の死によって泣き叫んでいた。尋常ではないパニック状態にあった。主は内に入り、「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」と落ち着き払って語られた。取り巻きの連中は、そういうイエスをあざ笑った。そこで主は騒がしい邪魔者たちを外に出して、本当に娘のことを愛している彼女の父母と供の者たちをだけを連れて子供のいる所に入って行かれた。そして、娘の手を取って、「タリタ・クミ」(アラム語)と言われた。それは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。 マルコは、なぜギリシャ語で書かれたこの福音書にわざわざここだけアラム語で記録したのか。それは、親しかったペテロから与えられた情報によるのだ。ペテロはその場にいた。彼は選ばれた側近の一人であり、この出来事の目撃者となった。そして、ペテロは何よりもその時に語られた主イエスの御声を忘れることができなかった。彼は心と記憶の中で生涯その「タリタ・クミ」を聞き続けることができた。主の愛、慈しみ、憐れみ、やさしさから生み出された御言は、追憶の恵みとして、いつまでも消えることはなかった。マルコはそれを書き残したかったのだ。 さあ、イエスの温かい娘と父母に注がれた御思いは奇蹟となった。「すると、少女はすぐに起き上がって、歩き出した。12歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに打たれた」とある。 主の御言には力である。ガリラヤ湖の嵐を静められた主。レギオンに男から出て行くように命じられた主。長血の女が癒された時、「安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいない」とお墨付きを与えられた主、そして、死人となった幼い娘に「タリタ・クミ」と言われた主。イエス・キリストの御言が響きわたる時、そこに何かが起こるのである。 大事なことは、この聖書の登場人物がそうであったように、私たちが信仰を持って主に近づくことである。そして、真実に問題の解決を願って祈ることである。求めることである。その時に、生ける主の御言は、私たちに貫き通すことであろう。 |
題「問題の解決」マルコ5:21-34
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