| 今日から教会暦は、待降節(アドベント・ラテン語が語源。キリストの到来、来臨の意)に入る。今朝は、救い主の誕生と生涯のために備えられ立てられ用いられたバプテスマのヨハネの誕生の預言について学びたい。 まず、ルカによる福音書について解説すると、ルカによる福音書は、マタイ、マルコによる福音書と共に共観福音書と呼ばれている。ルカは、異邦人のギリシャ人でアンテオケかピリピで生まれたと思われる。ヘブル語、ギリシャ語に精通する医師であった。ルカの名は、新約聖書に三回記されている。ルカはパウロとマルコの同労者、殉教間際のパウロと共にいた(第二テモテ4:11)。 この福音書は、ルカがAD60年頃、記録した文書である。 宛先は、ローマの高官テオピロでルカは彼を信仰に導こうとして、資料を集め、綿密に調べて書いたものである。信徒行伝(使徒の働き)もルカがAD62年頃、テオピロに送った文書である。使徒行伝1:1には、「テオピロよ」と呼びかけている。この時彼は信者になっており、ルカはテオピロをローマの高官としてではなく、主にある兄弟として見ていたのであろう。親愛の情を込めている。ルカは、この文書によりさらにテオピロにキリスト信仰のこと教会のこと知ってもらうために熱き思いを込めて書き記したのである。 さて、ルカは、預言者バプテスマのヨハネの誕生から始めている。1章5節以下のところを読むと、彼の両親のザカリヤとエリザベツのことが記されていて、彼らが神の前に正しい生活をし、落ち度のない人々であったことがわかる(6節)。 しかし、彼らの寂しさは、子がないことであった。老年になるまで、祭司として正しい生活をしながら、子を持たなかったことは、彼らにとって大きな悩みであったことだろう。ユダヤにおいては、子沢山であることは、神に祝福されている印であった。それゆえに、子どもがいないということは、二人にとって何か神の祝福が留められているのではないかと思うほどであったのではないだろうか。 しかしながら、そのような老人夫婦の絶望感を振り払うように、ザカリヤの長年の祈りは聞かれるのである。ヨハネが与えられることになったのだ。この夫婦の喜びは、いかばかりであっただろうか。それは、それは大きな喜びに溢れたことであろう。 齢がすすんだ夫婦に子どもが与えられるならば、一般家庭以上に彼らはその子を大切に育て、親の夢を託し、自分たちのすべてを与えようとしたのではないだろうか。 ところが、彼らの喜びは、そのような類の親としての喜びではなく、「彼はあなたに喜びと楽しみとをもたらし」(14節a)とあり、ここまでは普通の親の喜びと楽しみである。しかし、その後に、「多くの人々もその誕生を喜ぶであろう」(14節b)と言われた。これは、人の計画と神の計画が異なることを意味しており、ゼカリヤに対する神の特別な知らせであった(15-17節)。 「あなたがたに与えられる男の子は、ヨハネと名づけられ、特別な神の計画の実現のために用いられる神の器となる」ことを教えられたのである。 「彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず(ナジル人《士師記13:7《 あなたはぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。その子は生まれた時から死ぬ日まで神にささげられたナジル人です》終身ナジル人は神にささげられた者の意》、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており(神の人)、そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう(ユダヤ民族としては、イスラエルの多くの人々を神に立ち返される回復者)。彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き(神との関わりにおいては、救い主イエス・キリストの前ぶれとしての器)、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」と。 それは、救い主イエス・キリストの到来と来臨のために、人々の心に喜びと楽しみを与え、備えさせるためであるというのだ。 やがて、約束の子は、「エリザベツは月満ちて、男の子を産んだ。近所の人々や親族は、主が大きなあわれみを彼女におかけになったことを聞いて、共ども喜んだ」(1:57,58)とあるが、実は、それは特定の人々だけの喜びではなく、ユダヤ人とすべての人々の救い主の誕生と登場の待ち望みの喜びとなるのだ。 そして、ついに救い主イエス・キリストが生まれ、時を経て30歳になり公生涯にお入りになられる前に、バプテスマのヨハネは、自らの使命を果たすために奮い立った。「バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、『悔い改めよ、天国は近づいた』。預言者イザヤによって、『荒野で呼ばわる者の声がする、主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』と言われたのは、この人のことである」(マタイ3:1-3)とある。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)。この尊い働きにヨハネは己の人生を賭けて尽くすのだ。彼は、天国が近づき悔い改めを宣べ救い主をこの世に指し示したのである。自分は消えてキリストが残る。 神の救いの計画にも段取りがあった。ヨハネはそのキーパーソンなのだ。今日、神の大いなる救いの御経綸における彼の登場を喜び心から感謝しようではないか。ハレルヤ!!! |
題「その誕生を喜ぶ」ルカ1:8-17
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