題「今日一日を」マタイ6:32-34

 中学生の頃、日曜日の礼拝に参加して帰ってきた母が、今朝の聖書箇所のことを熱心に語っていたことを思い出す。その頃は「我関せず」という態度であった。心が神に向いていないとそういうことになるものである。

 6章26節から34節までは、「思いわずらうな」「心配するな」という主題である(25[2回],27,28,31,34[2回])。ここで主イエスは7回繰り返して「思いわずらう」ことに対して大切な信仰を教えておられる。「思いわずらう」ということはどういう意味なのだろうか。それは「心が千々に乱れる」という状態を意味する。心が、あれもこれも、今日のことも明日のことも多方面にわたって分裂することである。

 新改訳では、「心配するな」と訳されている。人間というものは、いろいろな理由で思いわずらう存在であることを思わされる(6:25-31)。そのような人々に主はこう言われた。「ああ、信仰の薄い者たちよ」(30節)と。これが主イエスの結論である。ストレートに語っておられる。

 イエスさまによると、思いわずらいの根本理由は、信仰の薄さにあるのだ、ということである。これは不信仰と言い換えることがいえよう。不信仰とは謙遜ではなく主から見て「悪い心」である。「兄弟たちよ、不信仰な悪い心をいだいて、生ける神から離れ去る者があるかもしれない」(ヘブル3:12)とある。そこで、主は「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(33節)と言われた。「これらのもの」とは、先に述べられている人間の衣食住に対する思いわずらいのことである。

 私たち弱い者は、心配のとりこに陥ってしまうことがあるが、そこから目を神にあげて人生の優先順位を神に据える事が肝要なのである。 旧約・新約聖書を貫いているメッセージは、私たちが神に寄り頼んで生きていく道を指し示している。しかし、目に見えない神を信じ、その約束の神の御言葉に自分の一切を賭けていくことには、大きな決断を必要としていると思う。それは、京都の清水の舞台から飛び降りるような大胆さをもって、神を信頼して第一にする生活を確立することである。これは、自分自身の人生の価値観を神に見出すことなくそういう生き方はできないと思う。創造主なる神が現実に生きておられること。そして私たちを愛しておられること。そのお方が一日一日を私たちに設けて与えてくださっていることを明確に信じることである。

  さて、詩篇118篇24節に「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう」とある。この箇所は、イスラエルの国民的祭日に当たり、神殿への厳かな行列において歌うために作られたものである。
「主に感謝せよ、主は恵みふかく、とこしえに絶えることがない」(1節)の言葉で始まり、29節でも同じ言葉で締めくくられている。感謝に溢れた詩篇である。かつてユダヤの信仰者は、主なる神のことをそのように信じていたのである。

   この詩篇118篇24節の箇所を「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日で十分である」(34節)に照らして読む時、三つのことを教えられる。

    1.「今日という日は、神が与えてくださった素晴らしい日であること」
   多くの日本人は科学の時代と称しておりながら、カレンダーの暦にとらわれる方がおられる。大安だ、仏滅だなど
   と言って、何をするにも暦が気になってしまうのだ。けれども、創造主を仰いで「主が設けられた日」であること
   を信じる者は、迷信や因習から解放される。自由になる。そのような信仰者にとっては、135日の一年すべてが、神
   によって造られ祝福された毎日なのだ。

  2.「今日という日を、精一杯生き抜いていくこと」
   私たちは、持ち越しの重荷を負い易いのではないだろうか。昨日の重荷を今日も背負って思いわずらってしまうの
   である。しかし、主は、「一日の苦労は、今日一日で十分である」(34節)と言われた。「明日は明日の心配(気づか
   い)がある」からだ。パウロも、ピリピ3章13節以下のところで「うしろのものを忘れ、前のものに向かってからだ
   を伸ばしつつ走り」と言っている。彼はそのことを日々の習慣としていたのであろう。

   出エジプト16章にイスラエルの出エジプトの後、荒野生活の必要のために神が天からのパン(マナ)を与えられたこ
   とが記されている。神は彼らに一日分を与えた。そして、民はその日の生活のために一生懸命マナを拾ったのであ
   る。民は神に夕べには重荷を下ろし、朝となった一日を精一杯生きたのだ。不信仰でそれができない人は、二日分
   のマナを拾うがそれは腐ってしまって役に立たなかった。

  3.「一日一日を精一杯生き抜くことが、一年、一生の成功につながるということ」
  明治の日本の預言者の一人、内村鑑三が、「一日一生」という言葉を残している。その意味は、「一日は長い人生の
  中のちっぽけな一部では決してなく、貴重な時間である」ということである。一日の過ごし方が、日々の積み重ねと
  なり、一年の成功となり一生の成果になるのだ。
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