箴言は、ヘブル語で「マーシャル」と呼ばれている。その意味は「比較」である。一つのことを他のことと比較することによって、理解し易く、覚え易くしている。例えば、「争いを好む女と一緒に家におるよりは、屋根のすみにおるほうがよい。争い怒る女と共におるよりは、荒野の住むほうがましだ」(21:9,19)のように。
これは、書物を持つことができなかった時代の人々にとっての効果的な教育法であったのだろう。また、「箴言」とは、鍼治療の「鍼」から来ているようである。病人の体に細い針をさして治療する医方である。
箴言の言葉は、人間の人生のつぼにさし込まれる実践倫理の書であり格言である。今日、イスラエル以外の国々でも箴言のようなことわざを集めた書物は現存していると聞く。
しかし、この聖書に記録されている箴言は、他民族の中にある人生処世訓とは根本的な違いがある。それは創造主である神を畏れかしこみ、神を礼拝する民として如何に生きるべきかを教えているところである。著者と著名については、ヘブル語聖書では、その多くがソロモン王に由来するところから、「ソロモンの箴言」と名づけられている。彼は、格言と金言の3000を説き、その知恵は諸国の王たちが使いを派遣して聞かせるほどであった。
実際、この書は今日も世界の人々が傾聴しなければならない知恵と教訓に満ちていると思う。全体の内容の中心聖句は、1章7節に尽きると思われる。「主を恐れることは知識のはじめである。愚かな者は知恵を軽んじる」。共同訳では「主を畏れることは知識の初め、無知な者は知恵も諭しも侮る」とある。新改訳では「愚か者は知恵と訓戒をさげすむ」と訳されている。
ここで言う「主」とは、人間が作った神々の中の神のことではない。天地の造り主全知全能の神のことである。「恐れる」とは、恐怖の恐れではなく謙虚な心をもって「畏れ敬う」ことである。また、「知識」とは、「人間が認識によって得られる成果、物事について抱いている考えや技能のことではない」。
単なる事象や現象を知るのではなく、その相互の関係にまで思いを致し、それを知り、そこに行われている神の御心を理解し悟ることである。つまり、知的に知ることではなく、霊的、信仰的に知ることである。
それゆえに、ここので「はじめ」というのは、単なる終わりに対しての始めではなく、世の終わりに至るまでの人間の生き方、歩み方の原理と秘訣を照らすスポットライトのようなものである。意味のある時「カイロス」としての「はじめ」なのだ。
このような意味づけにより「主を恐れることは知識のはじめである」とは、天地万物の創造主である主なる神を「畏れ敬う心」があって、始めて真の知識に至ることができるようになる。重要なことは、真の知識を得るためには、謙遜に天地万物の創造主である主なる神のことを畏れ敬う心を持つということである。
さて、戦前、反軍国主義者として東大教授の職を追われた矢内原忠雄氏は、戦後いち早く招かれて東大に復帰し、1952年(昭和27年)から57年(昭和32年)まで二期に亘って総長を務められた。彼は1957年の卒業式で最後の総長としての告辞を述べている。
「もとより諸君が本学で学んだことは、諸君の生涯における学習と経験の一部に過ぎず、また本学在学中に学んだことも教室や実験室で得た知識だけではないだろう。もしも諸君が本学在学中に人間というもの、人生というもの、世界というものについて思いをひそめ、人間としての在り方、生き方について確信ある思想的立脚点を得たならば、それはおそらく教室や実験室で得た諸君のすべての学習知識の総体よりも、さらに貴重な生命力であるだろう。
私自身かつて本学で学んだ者であるが、卒業の日に感じた感想を、今もって忘れない。私は自分の学んだ教科書や参考書やノートを机の前に山のように積んで見て、これらすべての高さも、私はこの同じ期間に内村鑑三先生の聖書研究から受けた生命力には及ばないと思った。
若き日に己が創造主を覚える者は幸福である。私は諸君が人生の意義を見出し、正義のために戦う戦闘精神と戦闘の気力を体得し、学問技術を社会の善のために用いる目的意識を明確にして社会に出ることを希望する」と。
矢内原忠雄氏は学問をした時、彼を生かしたもの、戦時中の闘いにおいても彼を支えたもの、それは、信仰の恩師内村鑑三の信仰と思想を東大の卒業生に示したのである。彼は学問の府の中においても、決して信仰を隠すことはなかった。まさに「知識のはじめ」を卒業生に指し示したのである。1955年(昭和30年)の卒業式でも、内村鑑三の墓碑銘を引用した。
「我は日本のため、
日本は世界のため、
世界はキリストのため、
而してすべては神のため」と。
