| キリストの12弟子たちの中にガリラヤ出身のゼベダイの子ヨハネがいた。彼は弟子たちの中で最も年少者であったようだ。彼は初代教会において、新約聖書の一部を構成する重要な文書記録者として召されたと考えられる。 福音書、第一、第二、第三の手紙と黙示録を記録した人物として知られている。 さて、この第三の手紙は、福音書より後に、また黙示録よりも前に書かれたと思われる。AD80年代後半か、90年代の初期頃。使徒ヨハネは晩年エペソで過ごしたと伝えられているので、おそらくこの手紙もエペソで書かれたのであろう。 宛先は、ガイオ(おそらくエペソ教会を中心としたその周辺の長老か教会員であったと思われる)であるが、一見私信のように見えても内容はむしろ教会宛てに記された公の手紙である。 この教会には、デオテレペス(第1の手紙に出てくる偽教師かまたは教会で自分の権力と地位を乱用した人)という人物がいた。彼は使徒たちをののしり、服従しないで、欲しいままに振る舞っていた(9,10節)。 キリストの教会は、十字架の救いと贖いの恵みに与った者たちが神の愛によって一致して世に対して証しと伝道をすべきであるのに、彼は教会にとって大きな痛みとなりトラブルメーカーであった。 ヨハネは、教会を守るためにデオテレペスに従わないように注意を促した。 また、巡回伝道者の働きを理解し協力して世話をするように奨励している。この手紙は、おそらくデメテリオ(12節)によってガイオに届けられたのであろう。 まず、ヨハネは親愛なるガイオに語りかける。「愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている」(2節)と。「愛する者よ、あなたの魂が幸いであるように、あなたがすべての面で幸いであり、また健康であるようにと、私は祈っています」(共同訳)、「愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります」(新改訳)。ヨハネはここでガイオが、精神的にも肉体的にも霊肉ともに恵まれ、家庭生活も主の働きもすべてが祝福され繁栄するように祝福の祈りをささげている。四拍子の祝福である。ガイオとその教会が如何にヨハネに愛されていたのかがよくわかる。このように何もかも神の祝福をいただいてクリスチャンが生きることができたら何と素晴らしいことかと思わされる。 しかし、ヨハネは本当にそのようなことを祈っているのであろうか。「あなたがすべてのことに恵まれるように」という意味は、「あなたがキリスト信仰を持って霊的に恵まれているだけではなく、具体的な日々の生活の中で十分に信仰が生かされますように」ということだ。 多くの場合、信仰の面では実に良いものを持っているのだが、実際の生活において具体的に、家庭生活の中で、夫に対して、妻に対して、子どもや親兄弟に対して、さらには、職場の上司や部下や同僚に対して、そういう人間関係の間柄においてキリスト信仰が生かされていないことがあるのではないだろうか。 つまり、この祈りは神対我の立ての関係だけでの信仰生活ではなく、他者とのいろいろな横の関係においても、イエス・キリストの救いの事実、イエスさまの恵みに生かされていくようにと祈っているのである。 先日、平和主日礼拝で神との平和が人との平和であることを見てきた。神の平和が私の内に生きているので、他者をも愛し赦し和らいで平和に生きていくことができるという意味である。しかし、これが難しいことがある。 私たちクリスチャンは、確かに神の子として日々生活しているはずではあるが、いつの間にか、神の子が世俗の子、肉の子になってしまうことがある。そこで周りの人々からそのようなクリスチャンは偽善者だとレッテルを貼られることもあるかもしれない。 パウロは、「おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい、キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい」(ピリピ2:4,5)と語っている。 これも同じ意味である。 私たちは、確かに事実として救い主を信じている。救いの根拠であるキリストの十字架を仰ぎ救いと贖いを感謝している。それは正しいことである。 それはいいのである。この点においては、この世のだれがそのクリスチャンに対して何を批判して言おうが、信仰を持っているその人にとっては、その救いを疑い否定するものとはならない。人は、道徳倫理(良い業・行為)により救われるのではなく、ただキリストの恵みにより信仰によって救われるからである。 「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためである」(エペソ2:8,9)とあるとおりである。 しかし、大事なことは、それと同じ思いをあなたがたの間で生かしなさいということである。 ヨハネは、ガイオが、「真理に生きていることを非常に喜んでいる。あなたは真理のうちを歩いている」(3節)と大きな喜びを表している。この真理に生きているとは、キリストに生きているということである。パウロの言葉を思い出す。「わたしにとって、生きることはキリストであり、死ぬことは益である」(ピリピ1:21)と。 日本最初の牧師といえば同志社英学校(同志社大学)を設立した新島襄である。彼は米国で聖書と出会い真理の神の言葉によって人生が変えられてしまった。帰国した時詠んだうたは、「ふるさとに飾るにしきは箱の中、身にまとうべき時にあらねば」であった。それは、己のために錦を飾ることなど脇に置いて、それよりか日本の青年に教育を与え育てることが人生の使命であることを証したのだ。 1878年(明治11年)9月に同志社に入ってきた新入生の数が少な過ぎたので翌年1月に再募集した。そして、1年生を上級と下級と二つのクラスに分けた。そのままで行えば何も起こらなかったかもしれないが、1880年(明治13年)3月に少人数のクラスを二つ設けておくのは不経済であるし、それに学力もあまり違っていないので、合併して一つのクラスにすることを新島襄校長が伝道旅行で出張中留守であったにも拘わらず、幹部たちで勝手に決定して生徒に通達してしまった。 この一方的な決定に上級クラスの者たちが怒ってストライキを起こし無届けで集団欠席した。新島は帰校して調停を行ったが、うまく収まらない。そんな4月13日の朝のことである。学内礼拝に彼は一本の萵苣(ちしゃ)の木の枝を持って来た。祈りをささげてから、先ず「吉野山花咲く頃は朝な朝な心にかかる峰の白雪」と古歌を吟(ぎん)じ、生徒たちにこう言った。 「私はいつも諸君の前途をこの歌の気持ちを持って眺めている。それなのに今回のような事件が生じたのは、校長である私の不徳の致すところである。だから今から自らを罰する」と。そして、目に涙を浮かべながら、持参した木の枝で左の腕を激しく打った。打ち続けるうちに枝は三つにも四つにも折れて新島の腕は傷ついてしまった。突然のことに驚いてしまった強硬派の生徒の一人が堪えかねて壇上にかけ登り、これを留め新島の真実に触れて謝罪したという。 どんなに説明しても納得することがなかった生徒たちが、たちどころに鉾を収め学校側と和解することができたのは、新島校長がキリストとの関わりですでに赦しを体験し、それを他者との関わりで身体を賭して十字架の犠牲の出来事を見せたことによる。これは強烈な愛と赦しを示す視覚教育になったのではないかと思う。これは一つの例話である。 新島襄は、信仰生活を日々継続していた。彼にとってキリスト信仰に生きることと教師として生徒たちに関わることは分離していなかった。彼は教会でも職場でも信仰に生きていたのである。そのように、私たちも、礼拝生活と実生活を切り離さないで、日曜日から土曜日まで、連続した信仰生活をするということがどうしても必要ではないだろうか。 それは、「不断の神共に在す臨在感。常にキリストが共におられることを認識すること。そして、主を介して他者を見ること」がその秘訣であることを思わされている。ヨハネはそのような祝福を祈りをここで祈っていることを覚えたい。 これは決して窮屈な話ではない。神との命の関係に生きて、祈りつつ自然体で歩んでいきたいものである。 |
題「祝福の祈り」第3ヨハネの手紙1節-4節
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