題「祈りは聞かれる」ルカ7:1-10

 祈りとは何か。一般的に「世界の安泰や他者への想いを願い求めること。神格化したものに対して、何かの実現を願うこと。祈祷、祈願のこと」と説明される。

 キリスト教の場合は、どういうことになるのだろうか。たとえばこういう祈りは違う。日頃は勉強もしないで遊んでばかりいる学生が、「神さま、あなたには不可能なことはありません。どうか僕を東大に合格させてください」と願う祈りである。また「神さま、私は病気です。病院に行くと痛い目にあうし、金もかかります。仕事を休むと収入も減ります。あなたならばお金はいりませんし簡単だと思います。どうかお願いですから、この病を癒してください」もおかしい。

 キリスト教の祈りは、神との対話であり一方通行で自分勝手なこちらからの願い事を神に向かってぶつけるようなものではない。祈りは、神との交わりでもある。神の言葉である聖書の御言により、祈る側が教えられて、自分の願い事や求める祈りが果たして神の御心に適うかどうかを問いながら祈っていくのである。また、自分にとって与えられた神の約束や使命、志による自分の成し遂げたい目標を掲げて祈ることもあろう。だがそのようなよいと思われる祈りでも神のご計画により、すぐに聞かれないこともあるし、逆に退けられることもあるかもしれない。しかし、それも神のお答えなのである。

 さて、ローマ帝国の百卒長(百人隊長)の信仰には、大いに教えられる。彼はヘロデ領主に仕える異邦人軍人であった。イスラエル人ではないが、割礼(ユダヤ人の契約の印)を受けてはいないにしてもユダヤ教に帰依しており(5節)、僕のことについても病気で死にそうなことを慮って愛し何とかして助けようとしていた。ユダヤの長老たちは、主イエスの元に来て、百卒長が主のお助けを受けるにふさわしい人である、と執り成すも、彼は謙遜な人であり、自ら異邦人であることを認識した上で、「わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません」(6節)と主のご訪問を辞退した。(使徒12:28 ユダヤ人が他国人と交際したり、出入りしたりすることは、禁じられていた) そのかわりに、「お言葉をください」と申し出るのである。

 彼は、神のみ言葉への信仰を持っていた。軍隊の上官が部下に命令をくだすなら、上官が現場に行かなくても部下は命令に従う。天地の造り主なるお方がお言葉をだされるならば、僕も癒されると、彼は信じたのである。「これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」(9節)と、主は百卒長の信仰を驚かれた。その時、主は「行け、あなたの信じたとおりなるように」(マタイ8:13)と語られると百卒長はこの主のみ言葉を信じた。その時、僕はいやされたのである。

 この出来事において何が起こったのであろうか。百卒長の僕に対する神にささげられた祈りが適えられたということである。彼は神の約束の言葉を信じて自らと祈られている人の存在を全部主にお任せしたのである。この信仰を主イエスは大いに喜ばれた。実に百卒長の信仰が主の御心に適ったのである。

 「祈りは聞かれる」その一つの証を紹介したい。「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けてください」(使徒16:9)とは、マケドニヤの人々の魂の叫びであった。パウロの第二伝道旅行で御霊によってアジヤで御言を語ることを禁じられ、トロアスに来た時、そこで彼は幻を見た。それは、マケドニヤ人(ヨーロッパ)が立って懇願している様であった。神がパウロに福音を語らせるためにお招きになられたのである。この働きによって喜びの教会であるピリピ教会が生まれたのである。

 さて、B.F.バックストン師が、1890年(明治23年)11月、30歳の頃に神戸に上陸した。翌年、島根県の松江市へ宣教師として入っていかれたのである。ではなぜそのような出雲大社のお膝元のような伝道困難な地域を彼は敢えて宣教地として選んだのだろうか。それを知る者は少ないようだが、地元のクリスチャン滝野つね氏がその由来を語っている。「私の義父、滝野多三郎が同信の友だちと近くにある城山で何年間も、断食、徹夜の祈り会を継続してきました。『神さま、どうかこの松江の滅びゆく魂を救ってください』と、泣き叫ぶような祈りを神さまに訴え続けたのです。このことが英国の新聞に載せられて、日本宣教の準備をしていたバックストン師の目にとまったのです。彼はそれを、「マケドニヤ人の叫び」として信じ受けとめられました。このように、義父たちの祈りは奇跡的にバックストン師の信仰と結ばれ、長年の祈りは適えられたのです。」と。み言葉に立つ祈りは聞かれるのである。
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