題「裁き、それとも赦し」エレミヤ5:1-31

 預言者エレミヤは、紀元前627年から41年間、ユダのバビロン捕囚前後に神の言葉を語り続けました。イザヤはアッスリヤからエルサレムを救いましたが、エレミヤはバビロンからエルサレムを救おうとして失敗しました。主の言葉を真実に語るが故に、人民から誤解され、国賊と罵られ、投獄されるという苦難をなめた涙の預言者と呼ばれた人物です。この5章では、エルサレムに対する審判が語られています。「エルサレムのちまたを行きめぐり、見て、知るがよい。その広場を尋ねて、公平を行い、真実を求める者が、ひとりでもあるかを捜してみよ。あれば、わたしはエルサレムをゆるす」(1節)。

 ソドム、ゴモラは10人の義人がいなかったので滅ぼされましたが、エルサレムは一人の義人がいたらゆるすと主は言われましたが、その一人がいなかったのです。ユダの末期は、善を行う者は一人もいないという実に憐れな状態でありました。それゆえに、主は、「ゆるすことができようか。あだを返さないであろうか」と言われるのです。しかし、神ご自身は厳しい裁きの炎に燃えておられるお方であられると同時に驚くべき赦しと回復の希望を指し示しておられるお方でもあるのです。それはレムナント(残れる民、10、18節)の思想です。そこに慰めのメッセージがあります。

 日本の預言者の一人でもあった藤井武が、1930年に「滅びよ」という題の一文を残しています。「日本は起こりつつあるのか。それとも滅びつつあるのか。我愛する国は神の祝福にあるのか、それとも呪いの中にあるのか、私は、日本は起こりつつあると信じた。神の祝福の中にあると信じた。しかし、実際、この日本に正義を愛し、神の公道を行おうとしている政治家のただ一人もいない。青年は永遠を忘れて、鶏のように地上をあさり、乙女は真珠を踏みつける豚よりも、愚かな恥ずべきことをする。彼らの偽らざる会話が、おおよそ何であるか、去年の夏、ある夜、私はさる野原で隣のテントからゆくりなく漏れ聞いた。私はテントの中に座り直して身を震わせた。翌朝早く、私は急いでテントをたたみ、私の子どもたちの手を取って、ソドムから出たロトのように、その場所を逃げ出した。

 その日以来、日本の滅亡の幻が私の目から消えない。日本は確かに滅びつつある。あたかもツァラアト患者の肉が崩れるように、我愛する祖国の名は遠からず地から拭われるであろう。ワニが東から来てこれを飲むであろう。『滅びよ。この汚れた処女の国よ。この意気地無き青年の国よ。この真理を知らない獣と虫けらの国よ。滅びよ。この国に何の未練もない、と言って死んでいったと伝えてほしい。』と、遺言した私の恩師の心情に私は熱涙をもって無条件に同感する。ああ、災いなるかな、真理に背く人々よ。真理に背く国よ。ああ願わくば御心をなし給え。」

 この藤井武の涙の預言は、逆説的意味が秘められています。「この美しい処女の国よ、滅んでくれるな。この理想に燃える青年の国よ、滅んでくれるな。この国に未練がないというのは嘘だ。私はこの日本と世界から離れられない。神さま、天国に行くのは、もっと留めてください。失われていく日本と世界のために、私を使ってください」。これが、藤井先生の祈りの叫びであったのではないでしょうか。

 マタイ23章において、イエス様が断腸の思いで、神に背を向け逆らい続けるユダヤ人に対して、「あなたがたは、わざわいである。」と連呼された叱責は、「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。わたしは言っておく、『主の御名によってきたる者に、祝福あれ』とおまえたちが言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはないであろう」という愛のむせび泣きの言葉によって終わっています。この最後に語られたことは、選びの民をどこまでも救おうとされる神の愛がほとばしるように表わされています。

 主は、残れる民を用意しておられる。「やがて、あなたがたは、終わりの日に『主の御名によってきたる者に、祝福あれ』と叫ぶであろう。わたしは、もう一度あなたがたと会う」と言われているのです。ここにユダヤ人の最終的回復が預言されています。それと同じように、主は、日本人である同胞の救いをも願っておられるのではないでしょうか。あなたの愛する人たちが、残れる者として用意されている。主は、それらの方々をも今も待ち続けておられる。私たちは、裁きのメッセージの向こう側に、驚くべき神の愛と憐れみが溢れていることを心に深く刻みたいと思います。さあ、あなたも涙の預言者エレミヤのようにその使命を全うしようではありませんか。

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